プロフィール
浅田 ゆかり(あさだ ゆかり)1972年 大阪府生まれ
中西順正道場 指導者
講道館柔道女子四段
主な戦績:
1991年、1995年 アジア柔道選手権大会 72㎏超級 2位
1993年、1995年 全日本女子選抜体重別選手権大会 72㎏超級 2位
1993年 皇后盃全日本女子選手権大会 3位
1995年 皇后盃全日本女子選手権大会 2位
この度、後藤(旧姓:松尾)徳子さんよりリレーのバトンを受けて「JJ Voice」に掲載して頂ける事になり大変光栄に思います。松尾さんとは同じ大阪出身で同い年です。中2で受けた昇段審査時には柔の形のペアであり、一時期は階級も同じ72kg超級だったこともあった為、共に刺激し合いながらも仲良くして頂きました。松尾さん、ありがとうございます!
私は現在、大阪の高槻市にあります中西順正道場で小中学生に指導させて頂いております。
中学1年の時、道場の館長である中西敏昭先生に出会い「柔道やってみないか?」と声を掛けて頂き、迷いなく「はい!習いたいです。」と即答した事を今でも鮮明に覚えています。
受け身から基本を叩き込んで頂いた事は、その後の私の柔道人生の礎になった事は間違いありません。
天理高校の指導者もされていた先生の教えは、きちんと組んで後ろに下がらない攻撃的な柔道スタイルでした。それが基本であり、正統派で少年柔道の指導者としていつも私の心の真ん中に置いている大切な教えです。道場の子供達にもこの基本をしっかり身につけてもらい怪我をせず安全に、そして将来、高校、大学に行っても柔道を続けていける様に指導する。それが「初習」に携わる者の責任であると私自身感じています。
中学時代は道場のみでの練習でしたが高校は京都成安女子に進学しました。
中西先生の天理高校、大学時代の2学年後輩で、当時は京都産業大学の指導者で世界選手権4連覇の藤猪省太先生が(女子)柔道の普及と強化の為に作られたのが成安柔道部です。
省太先生には大変厳しく稽古して頂きました。限界からのもうひと頑張りふた頑張りで試合の時の粘りを教えて頂きました。
その頃の先生は、まだ30代後半だったと思います。今思えば大変貴重な経験だったと思います。(そして今も、先生の指導者勉強会にも参加させて頂いています)。
高校卒業後は、省太先生の弟である藤猪昌平先生が強化を始められたばかりの兵庫県湊川相野学園の短大へ進学し、5学年(高校生と短大生)の強化システムで寮生活を経験しました。
私は短大なので最終学年が2年生でしたが、4年生を含む全日本学生体重別選手権で初めて日本一になりました。さらに無差別の全日本学生選手権も優勝し、2年生で学生2冠を獲った喜びは次の目標へのステップとなりました。
卒業後はミキハウスに所属し、出稽古にも自由に行けて、なお練習環境を変えずに湊川に残るという形で監督の橋本圭史先生にはとても良くして頂きました。
そんな恵まれた環境下でも私は夢にあと一歩の所で手に届きませんでした。
そう、「2位じゃダメなんです。」
95年の幕張の世界選手権では当初、私は無差別級の補欠でした。
代表&補欠合宿を終え大会の数週間前、補欠から無差別の代表選手となり選手団として会場入りもしました。しかし試合2日前に選手交代になるという経験をしました。
72㎏超級の日本代表で優勝確実の現役世界チャンピオンが初日の72㎏超級の試合でまさかの敗退。これによってその選手が最終日の無差別級に出場することになった為、私の出番は無くなりました。
そしてその選手は優勝されました。さすがこれぞチャンピオンと痛感いたしました。
しかし心身共に準備万端だった私にとって大変厳しい経験となりました。
「2位だから仕方ない」と何度も何度も自分に言い聞かせました。補欠→代表→交代。
(あの頃は2年に一度の世界選手権、各階級代表1名でした)
ただ、当日会場に招待していた恩師や、親兄妹には申し訳ない気持ちで一杯でした。
今になって思う事は「競技者としての自分は2位じゃダメなんです」だったかもしれませんが、指導者としてはこの経験は良かったのではないかと思います。
夢や目標の為に頑張るけれど思い通りに結果が出なかった人の気持ち、みんながチャンピオンになれるわけではない。それでも諦めず柔道をする、得るものがあるから、柔道が好きだから、それで充分。そう思うようになりました。
柔道以外でも何でもそう強い人ばかりじゃない。
人に寄り添う気持ちを覚えました。
引退後は、少し休んでから道場で指導のお手伝いをさせて頂いておりましたが、2004年頃、難病の母の介護や、自分自身の人生の岐路に立ち、しばらく柔道から離れておりました。
2014年に母を看取った後、2015年頃、フェイスブックを通して学生時代の柔道仲間や全日本強化選手時代の皆さんと繋がり、本格的に柔道界に戻るきっかけを頂きました。
その中でも大きなきっかけは、バルセロナオリンピック銅メダリストの石角(旧姓:坂上)洋子先輩に、「浅やんも出てみない?」と高段者及び四段の試合に誘って頂いた出来事でした。しかし、段位が足りない私は右往左往して自力では何とも出来ずにいました。そんな時、坂上先輩が昇段の為に大変ご尽力下さいました。本当に感謝で一杯です。
そして同じタイミングで道場の中西先生からもご連絡を頂いた事も指導者に戻るきっかけになりました。
昨年8月には父を亡くしましたが、まだ元気な頃私が柔道に戻る事を大変喜んでおり、出歩いては親戚や身近な人に嬉しいと話していたそうです。親孝行できたかな…?
柔道に戻る事を歓迎して下さり喜んで下さる方が多い事が嬉しく驚きでもありました
この様に柔道を通して沢山の先生方や先輩、後輩、友達、仲間と出会えた事は私の宝物です。
この先もずっと道場の子供達と共に汗を流せる様に身体作りの為、2015年からは京都でクロスフィットトレーニングをしています。緊急事態宣言中で京都のジムには行けていませんが、オンラインクラスでの体力維持の助けをしてくれたジムの、Cross fit Kyotoにも感謝しています。
最後に、道場の子供達には柔道を通して、礼儀正しく元気に、怪我なく安全第一で柔道の素晴らしさや楽しさを伝え、試合で勝つ喜び、負けた時は負けた人の悔しさを知ってもらい、弱い立場の人や困っている友達を見過ごさない思いやりを持った人になって欲しいと願っています。
また、ここ3ヶ月で新たに小学生の女の子が3名、女子高校生も1名道場に入門してくれました。
私の中では女子柔道ブーム来たー!です。更衣室はまさに「JJ Voice」が賑やかです。
柔道人口が増える瞬間に立ち会えるのは町道場指導者の醍醐味でもあります。
これからがとても楽しみです。
ありがとうございました。
次回はミキハウスでの後輩に当たる吉田早希さんが登場します。