――社会のなかで、柔道はかなりの存在感があるんですね。
競技者人口が30万人、連盟に登録しない練習生も入れると約200万人が柔道をしています。たまたま乗ったタクシーの運転手さんが嘉納治五郎師範の名前を知っていて、「僕も紫帯まで柔道やっていたんだ」というようなことが普通にあるんです。学校の課外授業にも柔道が入っていて、外から先生が来て教えて、もっと続けたいという子がいれば町道場に行って本格的に学ぶという流れができている。私も近所でお母さんたちに、うちの子には柔道で「修行」させたいんだ、柔道って実際どう? と聞かれることがすごく多い。社会に必要な規範や生きていく力を教えてくれるものだという、教育としての信頼があると感じます。
――ブラジル柔道の特徴は?
選手たちから「日本の柔道」を感じさせられる場面が多いことにまず驚かされました。日本人の移民の方が100年以上前に始めたのがブラジル柔道のルーツなのですが、いまの競技者のメンタリティや技術から、現地で脈々と伝わってきたその息吹が感じられる。次の世代にもこれを伝えていかなければならないと、勝手に責任を感じています。
――日本の練習との違いに戸惑うようなことはありましたか?
イギリス時代も含めて、「打ち込み」には考えさせられるところが多いですね。単に打ち込み100本! と号令をかけても動かないんです。意味や目的に納得してから行動する習慣がついていて、子どもであっても「なぜやらなければいけないのか」と質問してくる。自分は先生に100本と言われればそういうものだと素直にやっていましたから、なぜ? という質問はとてもおもしろかった。自分がやってきたことを意味づけていく仕事がその先に待っていました。
――なんと答えたんですか?
いまだに答えを探しています。イギリス時代は少しずつ数を増やして実際にできるようになることを感じさせてモチベーションを上げたり、ブラジルでは自分も実感している「1万時間の法則」を話したり、単なる繰り返しではなく、毎回違っていいから1回1回新しい気づきを求めなさいとアドバイスして集中力を上げたり。いま思っていることは、良し悪しの差を理解するためには絶対的な数が必要だということ。いまの自分の状態を的確に把握するためにはまず自分を知らねばならない。そのためには数が必要だということですね。自分の良し悪しを理解できる選手にはこちらもアドバイスがしやすいんです。打ち込みに限らず、ブラジルでは反復練習が不得手な選手が多い。強い選手でも意外に基礎が抜けていたりするのですが、例えば最初は単純な足さばきから練習をスタートするとしても、「これを使えば足技が出しやすい」とか、1回の稽古のなかで実際の成果がイメージできるような過程を組み込むことにしています。あのイギリスの子どもの「なぜ打ち込みをしなければいけないの?」はすごくいい質問だったなと、いまでも思いますね。