――英語やポルトガル語を習得するにあたり、柔道を教えるという場があったことは役に立ちましたか?
生の交流や現地の人の生き方を見るということがないと、言葉はなかなか自分のものになりません。そこに柔道があることで、友だちになるためのステップを何個か飛ばして入っていけるというのはあります。また、一時帰国したときに、日本語自体はわかるはずなのに目の前の人が何を言っているのかわからない、ということがあって逆に気づかされたのですが、海外にいて、相手の気持ちを読む能力が鍛えられていたんですね。変な話をしますが、知らない言語のeメールを見ただけでも、どんな感情で書かれたものなのかわかってしまう (笑)。これは畳の上で、柔道という共通言語がまず先にあって、思いを伝えやすい環境があったことが大きいかもしれません。
――その後、ブラジルナショナルチームの技術コーチとなりました。
ブラジルは人が両手を広げて待ってくれているようなイメージで、出会ったらすぐに友だちなんです。入っていきやすかった。お話ししたいのはまず、ファべーラ(貧民街)についてですね。ファベーラの子どもたちはあそこで生まれて、育って、外の世界を知らずに生を終えていく。ですので、スポーツで子どもたちの世界を広げようという活動が多いんです。私も指導に行かせていただいたんですけど、子どもたちはワーワー騒いでいて言うことをきかない。で、あるとき怒ったことがあるんです。やりたくないんだったらもういいよ、やりたい人だけ残ってくれればいい、と。カッとなって言ってしまったんですけど、帰りの車のなかでよく考えてみたら、いや、この子たちにとっては道場にいること自体が大事なんだと。危ない地域から出てきて、違う場所で違う人と交流するということ自体に意味があるんだ、技術を体得することは二の次なんだと、自分の過ちに気づいたんです。日本とブラジルの「柔道をやること」の意義は、このあたり大きく異なるわけですよね。
――女子監督として指導されたリオデジャネイロ・オリンピックの金メダリスト、ラファエラ・シウバ選手もファベーラ出身と聞きました。
彼女はオリンピックパークの近くのファベーラの出身で、小さい頃はすごくケンカ早かった。でも、柔道を通して本当に大人になって、素晴らしい人間性を持った選手になりました。ファベーラの子どもたちが次のラファエラ・シウバになりたいと、目を輝かせて練習している。そういう場所があって違う道を見せてくれる大人に出会うことができる。それはすごく大きなことだと思います。