古賀稔彦(こが としひこ)氏が、令和3(2021)年3月24日、ご逝去されました。ここに生前のご厚誼に深く感謝し、謹んでお悔やみ申し上げます。
1.氏 名: 古賀稔彦(こが としひこ)氏
2.逝 去 日: 令和3年(2021)年3月24日(53歳)
3.故人の略歴
1992年 バルセロナオリンピック 71kg級 金メダル
1996年 アトランタオリンピック 78kg級 銀メダル
4.コメント:
当連盟会長 山下泰裕
「今朝、古賀稔彦さんがお亡くなりになったと報が入りました。最初は全く信じられませんでした。大変大きなショックを受けております。柔道界にとって、貴重な存在を失いました。彼自身も柔道界でもっともっとやりたかったことがあったのではないかと思います。
古賀稔彦さんは、「平成の三四郎」とも呼ばれていました。軽量級の身体で重量級の選手とも正々堂々、真っ向から闘う姿勢は、忘れられません。1990年体重無差別の全日本選手権で決勝まで勝ち上がり小川直也さんと闘った姿をはじめ、1992年バルセロナオリンピックの直前において膝の怪我をし、克服して優勝した姿を見て、私は現地で「これは奇跡が起きた」と思いました。
心技体の全てにおいて突出しておりましたが、その中でも心が非常に大きな選手でした。心からご冥福をお祈り申し上げます。」
全日本男子監督 井上康生
「古賀さんは私にとってのスターであり、憧れの選手でした。
特に1992年のバルセロナオリンピックでの怪我をしている中での優勝や1990年の全日本選手権において、71キロ級でありながら決勝まで勝ち上がった勇姿は、今なお脳裏に焼き付いています。まさしく「平成の三四郎」と呼ばれるのにふさわしい方でした。
また、私が中学生の時、宮崎のある道場で直接稽古につけてもらった経験は、その後の私の柔道人生に大きな影響をもたらしました。古賀さんは中学生である私に対しても一切の妥協なく真剣に稽古をつけられたのですが、終わった後はにこやかに「お前強いな、頑張れよ!」と気さくに接してくださって、その様子に当時の私は非常に感じるものがあり、凄い人だと思ったのを憶えています。
選手を退かれた後、指導者として歩まれている日々においても、会場等で飾る事なく、「監督大変だな、頑張れよ!」などといつも気軽に明るくお声をかけていただきました。本当に嬉しかったです。
そんな存在であった古賀さんがお亡くなりになられたことは非常に残念であり、柔道界にとって大きな損失です。
しかし、古賀さんが残された功績を我々がしっかりと受け継いで頑張っていかなければと思っております。
古賀さん、ありがとうございました。心からのご冥福をお祈りいたします。」