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「不撓不屈の柔道教育者」小池雅彦(日本)

柔道の創始者、嘉納治五郎先生も教育者であった。「教育のこと、天下これより偉なるはなし、一人の徳教、広く万人に加わり、一世の化育、遠く百世に及べり」師が述べた言葉である。今日紹介する小池先生も高校で教鞭をとる教育者である。「柔道からすべてを教えてもらった」と熱く語っていました。

*この記事は、ピエール・フラマン/広報委員の記事を再構成しています。

小池先生との出会いは、私が日本に来て間もなくでした。当時、私は教師として埼玉県の高校に勤務していました。しかしながら、柔道家の私にとって非常に残念なことにその学校の柔道部員は3人しかいませんでした。落胆する私に気遣ったある先生が、県の会合に出席した際、私を練習に迎え入れてくれるところはないかと打診してくれました。

その声かけに真っ先に手を挙げてくれたのが、今回ご紹介する小池先生です。彼は私を歓迎してくれた最初の人物です。今でも覚えているのは、彼は練習に行くときに私を誘い、車で一緒に行ったりしたこと。そして、次々に日本の柔道を紹介してくれました。今も交流は続いていますが、彼を知れば知るほど、彼が本物の柔道家であることがわかります。彼は、礼儀正しさ、正直さ、挑戦する勇気、情熱を兼ね備えていて、そして、自分のためだけではなく社会に大きく貢献していく人材を育てたいと願う人物です。今回はそういう小池先生を紹介します。

<プロフィール> 小池雅彦こいけ・まさひこ 1961年8月31日生
日本大学文理学部体育学科 卒業埼玉県立高校教員
1961年8月31日生日本大学文理学部体育学科 卒業埼玉県立高校教員
柔道七段 全国高段者大会:27回出場2006年~全柔連大会事業委員会委員
2019年~全柔連大会事業委員会副委員長

柔道に魅せられ、「諦めようと思ったことは一度もなかった」

先生が柔道を始めたのは中学1年生12歳のとき。深く考えたわけではなく、進学した中学に柔道部があったこと、体が大きかったこと、先輩に誘われ、おもしろそうだと思ったからだそうです。しかし、いざ始めたらとにかく楽しかったとか。それまでは、何をやってもそれほどうまくいかなかったそうですが、柔道は違っていました。教わった技はすぐにできて、柔道がどんどん好きになっていきます。
高校進学も、尊敬する柔道部の先輩がいて、その先輩を追いかけ先輩と同じ高校に進学。そして柔道部に入部。そんな柔道大好き少年だった先生も、試合の成績は全然ダメだったといいます。

それでも嫌にならなかったのかと尋ねると、「嫌ではなかったです。強い人はいると思いましたが」と。振り返れば、高校時代の練習はすごくきつかったとのこと。なのに、なかなか勝てない「つまり、コストパフォーマンスが悪かったんです」と笑いとばしました。

現在、小池先生は埼玉県の高校教師。自身が高校生のときに高校柔道は素晴らしいと感じたことから、一生高校柔道に関わりたいと思ったそうです。そして高校教師を目指し、日本大学に進学。しかし〝日大柔道部〟への道のりは平坦ではありませんでした。一般入試で臨み合格したが、日大柔道部は少数精鋭の部。いくら日大生でも入部はダメだと断られてしまいます。しかし先生は諦めず、部員としては認められないが、練習には来ていいと言われました。

1年生、2年生は見習い部員として努力を積み重ね、3年生になってついに部員と認められ、道場に名札もかかりました。

「思っていたより、相当つらかったです。でも、周りにいい仲間がたくさんいました。ひどい目にも遭いましたが、いい人たちがたくさんいたので、今があります。本当に日大柔道部に入れてもらったおかげです」と感謝を絶やさない人柄がにじみでた。実は日大のなかには文理学部にも柔道部がある。しかし、そこは同好会。先生は自分の力を考えたら、そちらのほうがちょうどよかったと話していた。

ではなぜ、先生は日大柔道部を目指したのでしょう。〝日大柔道部〟というすごい世界があるのに、そこを知らないで同好会で柔道をして、学校の先生になっていいのか? 本当のすごい世界を知らないでいいのか? と自問自答をしたのだとそうです。とはいえ、たくさん投げられた。でも、「辞めようと思ったことは一度もなかった!」と言い切ります。

「1年生のときは立っていられないほどだったのですが、でも無理だから辞めようと思ったことは一度もないです。強いなとは思いましたけど(笑)」

「自分にとって、柔道は先生みたいなもの」

「今は、自分は柔道七段で、練習して八段を目指して高段者大会に出続けています。健康に気をつけて頑張っています」という小池先生。向上心は柔道を始めたときと変わりません。さらに指導者として、生徒に対して「勝つばかりが柔道ではないので、関東大会や全国大会を目指して練習する過程で成長してもらい、最終的には社会で活躍してほしい」と願っています。また、先生は全柔連で大会事業委員会の副委員長も務め、東京オリンピックの運営に携わり、多忙な日々を送っています。そんな彼のポリシーを尋ねました。

「自分に依頼がきた仕事は基本断らない方針です。なぜなら、オファーがあるということは必要とされていると感じるからです。ありがたいと思って引き受けます。そして、それが、回り回って自分だけではなく、自分の生徒のためにもなっていくと信じています。
必要とされれば、やれるだけのことをして恩返しをしたいと思います。自分にとって、柔道は先生みたいなもの。なんでも教えてもらった。あいさつや返事や言葉遣い、苦しいときも頑張るなど。年齢を考えると時間は限られていますが、自分で練習もしたいし、試合にも出たい。今があるのは、柔道のおかげだからです」

もし、柔道との出会いがなかったら?と質問してみました。

「柔道と出会わなかったらなんて想像できません! 柔道に出会えたおかげでいろいろな人との出会いにも恵まれました」と、どこまでも、謙虚な人柄が伺えます。

すごいと思うことはやはり、諦めなかったこと。不撓不屈の精神。仕事は引き受けたからには、一生懸命仕事をして、自分を信頼して依頼した方に応えようといつも心がけています。その心情にも私は共感します。最後にもう一つ。先生はオープンマインドの人である。高体連のデスクオブ柔道の国際交流担当もしています。

「よく、海外の人を敬遠する人がいると聞きますが、自分は海外の人とも積極的に交流したいです。柔道のチャンネルで海外の友だちも増えています」

筆者である私の存在を聞きつけ、真っ先に会いたい!と言ってくれた先生に感謝します。

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