2016年に行われたリオデジャネイロオリンピック。柔道競技5日目、決勝戦。女子70㎏級田知本遥選手の対戦相手としてあがってきたコロンビア代表のコーチボックスに、日本人コーチが座っていたことを記憶されている人も多いことだろう。その日本人コーチ・早川憲幸氏が今回のゲスト。どのような経緯でコロンビアに渡り、どんな方法でアルベアル選手を世界のトップに育てたのか。語っていただきました。
<プロフィール> 早川 憲幸 (はやかわ・のりゆき)1981年生まれ。埼玉県出身。
実家が道場を開いていることから、小さな頃から自然に柔道を中心とした生活を送り、明治大学在学中は吉田秀彦氏(現パーク24監督)のもとで学ぶ。棟田康幸(警視庁)や矢嵜雄大(現富士学苑教員)とは同期。09年、コロンビアに渡り、リオデジャネイロ・オリンピック銀メダリストのアルベアルを育てた。
「柔道で海外に出たかった」という子どもの頃の夢
小さい頃から『柔道をツールにして海外に行きたい』という夢を持っていた早川さん。オリンピック競技の一つである柔道なら、日本人指導者として世界の国々で需要があるにちがいないと考えていました。
「その強い思いが引き合わせてくれたのでしょうか。母校・明治大学の先輩で、長く海外で指導されている冨田弘美先生(現プエルトリコ在住)から『コロンビアでやってみないか』と紹介していただいたのです」
これをきっかけに7年前の09年、単身コロンビアへ。当時、この国は南米でもっとも治安が悪いといわれていました。「そんなところに本当に柔道があるのかな」という一抹の不安を抱えながらも、海外ならどこでもよかったのでコロンビアという国に抵抗はなかったそうです。
着任以来早川さんが暮らしているのは、コロンビアの第3の都市・カリ市という街。
「こちらには日本のような道場はなく、すべて市が経営している複合施設の空きスペースを利用して行われていますが、着任した当初はこのことに驚かされました。カリ市も同様で、市の施設を使っています。ただ多くの場合、練習場に畳がないのですが、ここはかつて世界ジュニアの会場になったことから、畳があるという点で恵まれていると思います」
練習生は13歳から60歳くらいまで15名ほどで、学生からタクシー運転手、アーティストなど職種は様々。全員が揃うことはなく、通常3〜8人くらいで練習しています。貧しい家庭も少なくなく、小学生や中学生の場合、保護者から「スポーツをするより、仕事を手伝え」と言われたり、練習場までの交通費がないといった理由で来られなくなるといったこともあるそうです。
「私は柔道で大切なことを学んできましたので、子どもたちにはなんとか柔道を続けさせたい。交通費は私が負担することで通わせることはできますが、保護者に理解がない場合は難しく、いい選手を育てたいと思ってもなかなか厳しいのが現状です」
愛弟子・アルベアル選手との出会い
このカリ市の練習場で出会ったのが、2016年のリオデジャネイロ・オリンピック70㎏級で銀メダルを獲得したアルベアル選手です。
「彼女は最初からほかの生徒たちと異なるところがありました。練習に遅刻してくるのが当たり前という状況のなかで、彼女ひとり、いつも練習の30分前には道場に来ていました。そして、私が掃除をしていると率先して手伝ってくれ、技の入り方など疑問があると言葉が通じないないにもかかわらず、熱心に聞いてきました」
そんな彼女をどのように強化したのか。早川さんは、世界選手権・オリンピックにすべての照準をあわせました。試合の練習をさせるため、短い時間で意識を集中させて取り組むよう心がけさせました。また、「一本」をとる柔道ではなく、投げてとれなければ「指導4」でもかまわないと教えました。
「これは日本人にはなかなか理解できないことだと思いますが、柔道が世界的なスポーツになった以上、様々な考え方があっていいのだということを私は海外に出て学びました」
そしてリオでの戦いではアルベアル選手は決勝戦で田知本遥選手に敗れ、その結果、金メダルを日本に渡すことになりました。
「正直悔しい気持ちはありますが、そこまで勝ち上がったプロセスを考えると、よく頑張ってくれたと思います。
この4年間、田知本選手を含めた世界の有力選手をピックアップし、対策と準備を怠りなくやってきました。にもかかわらず、本番で田知本選手が逆ブロックから強豪を倒して上がって来るのを見て、私のなかに〝怖い〟という気持ちが出てきてしまった。田知本選手に勝利に対する執念を見たからです。彼女は考えて柔道をするタイプだと私は分析しており、考えて悩んでくれればそこに勝機があると読んでいたのですが、あの試合に限っては悩みがなく、むしろ勢いがあるように見えた。そこから誤算が生じたのだと思います。改めて、オリンピックでは何が起こるかわからないということを学んだ一戦でした」
父から教わった柔道を原点にどこへでも出ていきたい
早川さんがここで子どもたちに教えているのは、父が道場で教えていた、強さを求める練習ではなく、飽きさせない、嫌いにさせない柔道です。
「これが私の原点。そして、そこから上を目指す選手を育てたいと考えています」
早川さんはこの地に来て、畳の道場という整った環境がなくても、柔道衣がなくても、ベーシックな初期段階は、安全管理さえ怠らなければ指導はできるということを学んだといいます。当初は柔道を教育の面から考えて学びたいという人はほとんどいませんでしたが、近頃少しずつ、その部分を期待して学ばせたいという保護者が増えてきたそうです。
「やはり、貧困街で育ったアルベアルがオリンピックでメダル獲得という夢をつかんだことが大きく影響しているのでしょう。私にとって柔道は、私の存在価値の体現そのもの。今後のことはまだ未定ですが、コロンビアに限らず、必要とされるならどこへでも行きたいと思っています。そしてチャンスがあれば、もう一度オリンピックの舞台でメダル争いに絡める選手を育て、今度こそ金メダルを獲らせてみたいですね」