今回のゲストは、2016年オリンピック・パラリンピックの開催国ブラジルチームのヘッドコーチを務める女性、ロジクレイアさんにご登場いただきましょう。コーチボックスで熱血指導者という雰囲気を見せるロジクレイアさん。その背景には、しっかりと日本柔道が流れていました。
(この記事は、藤井裕子ブラジル代表チームコーチの翻訳を元に作成しています)
<プロフィール> ロジクレイア・カンポス
1966年11月7日生まれ。ブラジル出身。12歳頃柔道を始め、現役時代は66kg級の選手として活躍。1988年には福岡国際女子柔道選手権で来日している。2000年に現役を引退し、その後はナショナルの指導者として活躍している。
動きの美しさと技の理合に魅了されて
ロジクレイアさんが柔道と出会ったのは、まったくの偶然でした。
「カトリック教会で授業を受けていたのですが、ちょうど道を挟んだ向かい側に町道場があったのです。私はいつしか授業を休んで柔道の練習を見に行くようになっていました。そして、すっかり柔道の動きの美しさや技の理合に魅了されたのです。教会の先生がそのことを両親に伝えたところ、両親は私に罰を与えるようなことはせず、町道場に入門させてくれました」
こうしてロジクレイアさんは「レンセイカン」という道場で柔道を始め、ウエダタケシ先生に師事し。先生は生徒に日本語を教えたり、頑張っている選手を日本食レストランによく連れて行ってくれたそうで、ロジクレイアさんは「いつもすき焼きを食べていました」とのこと。先生はよく「柔道は頭のいい者の競技だ」と言い、先生が教えたことがうまくできないと「バカヤロー!」と言われたとか。
「私は大内刈を習得したかったのですが、内股ばかり教わりました。『1つの技を習得するのに10年かかる。何度も練習し、何度も繰り返すことが技を覚える近道だ。ほかの技もすぐに覚えられるようになる』というのが先生の教えでした」
道場はまるで家族のような雰囲気で、練習はもちろんですが、パーティや集会もよく開催されたと言い、この強いつながりは1981年に始まってから今日まで続いているそうです。
先生が予言した、福岡国際大会への出場
柔道を始めてから、先生はもとより、家族や仲間たちの誇りであれるようにという気持ちで取り組んだロジクレイアさんは、「ナショナルチームに入りたい」と強く思うようになり、常に試合で勝つことに貪欲でした。当時としては異例の早さ、15歳にしてナショナル強化選手となったのです。
「そんな毎日のなかで忘れられないことはたくさんありますが、強いて挙げるならまだ小さかった頃のこと。道場に貼ってあった福岡国際のポスターをいつも眺めていましたら、先生は私にこう言ったのです。『お前もいつか日本で試合をするようになるよ』と」
しかし、当時のロジクレイアさんにはとても遠い夢のような話でした。いくつかあるポスターのうち、2つはベルギーのベルグマンス選手の写真で、私は彼女が最高の選手だと思っていたと言います。すると先生はロジクレイアさんにこう言いました。
「お前はいつか日本に行き、ベルグマンス選手だけでなく、世界中の有名な選手全員を知ることになるよ」
そして1988年、それは実現しました。ロジクレイアさんは選手として福岡国際に出場し、ベルグマンス選手やファンであったその他のすべての選手たちと知り合えたのです。このことは彼女にとって忘れられない思い出となりました。
リオの地で日本選手との戦いをたくさん見たい
「選手時代を振り返ると、指導はすべて男子に焦点を当てたものばかり。私の夢はそれを変えることでした」と話すロジクレイアさん。大学ではスポーツトレーニング学とハイパフォーマンス柔道についての2つの修士号を取得。いい指導者になるために必要な勉強を追求しました。
「そしてチャンスが訪れました。現在の上司でありナショナルチームのコーディネーターであるウイルソン氏との出会いです。2000年30歳で現役を引退すると、シドニーオリンピックのアシスタントコーチとして招集されました。シドニーが終わるとカデの監督に就任し、01年から05年はジュニア監督、それ以降はシニアの監督になり現在に至ります」
現在ロジクレイアさんが所属するチームは明るく快活で、集まればいつでも昔話に花を咲かせて盛り上がっているそう。もちろん、互いに厳しい鍛錬の重要性を心得ていますが、その一方で幸せであることが一番大切だということもわかっています。
「私が指導で心がけているのは、チームを一致団結させること。柔道は個人競技ですが、1人ひとりがお互いを必要とする競技です。チームとしての自信と団結を高めた結果、1人の力がほかに伝わるという連鎖が生まれるからです。
柔道は私の人生そのもの。とても美しいものだと思います。哲学、敬意、序列、人間形成、そして試合、すべてが私を魅了します。私は自分の人生に柔道哲学を取り入れています。
いまの私の大きな夢は、リオオリンピックでたくさんのメダルを獲得すること。そして、できれば日本選手との決勝戦がたくさん見たいと思っています」