今回のゲストは、昨年まで13年にわたりモンゴル人として柔道を学び、子どもたちの指導に携わっていたゲンデン・バターエルデネ氏。遊牧民族として育った氏が日本柔道のどんなところに惹かれたのか、またモンゴルが強くなっている理由について語っていただきました。
<プロフィール> ゲンデン・バターエルデネ
1978年4月30日生まれ。モンゴル出身。小学校4年生のとき、ウランバートルに次ぐモンゴル第2の都市ダルハンで柔道を始める。年に1度行われる国内のシニア大会で2位。2002年9月、来日。東海大に留学。卒業後は働きながら、松前塾で子どもたちの指導にあたり、昨年秋、帰国。現在、モンゴル柔道連盟ナショナルチームで、ジュニアチームのコーチとして指導にあたっている。
少年時代に出会った柔道の「礼」に衝撃を受けて
草原に暮らす遊牧民族として生まれたバターエルデネ氏が柔道と出会ったのは、小学校4年生のとき。モンゴル第2の都市であるダルハンに引っ越したことがきっかけでした。
友だちとの遊びというとモンゴル相撲が定番だったバターエルデネ氏。ところがダルハンにはサッカー、バスケットなど遊牧生活にはなかったスポーツがありました。柔道もそのひとつで、モンゴル相撲が強い友だちに何かスポーツをやっているのか聞いたところ「柔道をやっている」と聞き、道場に連れて行ってもらったそう。
「すると、白い衣装を着た人たちが『礼』『はじめ』という号令に従って、練習を始めたり、やめたりしているじゃないですか。そこに衝撃を受け、魅力を感じました。自分はモンゴル相撲で負けたことはなかったし、柔道もいけるのではないかと思って始めました」
以来、大学卒業まで、モンゴル相撲と柔道の稽古に励み、アテネを目指しました。ところが、2002年7月膝を負傷。完治には1年かかるといわれ、オリンピックへの挑戦が困難となりました。
「そんなとき、日本に留学中だった兄から『東海大柔道部が強い』と聞き、柔道の母国・日本に渡り、柔道を学んでみたいと決意しました。2002年9月に東海大学の橋本敏明先生のもとで柔道の勉強を始め、2015年秋に帰国するまで13年間、働きながら少年柔道の指導に携わりました」
モンゴルで柔道が急速に広まった2000年代
「私が離れていた間に、モンゴル柔道界は大きく変わりました」とバターエルデネ氏は話します。
「2006年、非常に熱心な方が連盟の会長となり、事務局長をはじめ体制も変わりました。そこから隣国・中国で開催される2008北京に向けて強化を図りはじめ、その結果、北京オリンピックでモンゴル史上初の金メダリスト(ツブシンバヤル・100㎏級)が誕生。国中に感動がわき起こり、モンゴル国民は「やればできる」という自信を得ました」
そうして一気に柔道人気が高まり、選手人口が増加。もともとモンゴル相撲の横綱や大関には柔道を取り入れている人が多く、国民は柔道に関して理解があったため、さらに関心が高まって今日に至っています。
「柔道は相手がいてできるもの」日本柔道の魅力を伝えたい
「日本で柔道を学び、私は人として今後の人生に活かしていきたいと思うことをたくさん学びました。とくに、『柔道は相手がいてできるもの。礼をして戦いを始め、その勝敗にかかわらず、戦ってくれた相手にしっかりとあいさつをして畳を下りる』ということには大きな感銘を受けました」
現在、バターエルデネ氏はナショナルチームで、2020東京を目指すジュニア選手の指導にあたっています。
「ここで人として最高で、最強の選手を育てることを目指すとともに、老若男女問わず、柔道の魅力をできるかぎりモンゴルの人たちに伝えていきたいと思います」