柔道はケガが多い競技です。ケガにより、長いリハビリ生活を強いられたり、競技自体を断念せざるを得なかったりと、ケガの種類、場所などによりさまざまな状況が生まれます。
今回、ご登場いただいた福島佳織さんは、度重なるケガの経験を職業に生かした女性です。医師の道へ進むことになったきっかけ、医師としての喜びなど、柔道選手からのセカンドキャリアを紹介します。
(協力:女子柔道振興委員会)
<プロフィール> 福島佳織(ふくしま・かおり) 1969年8月7日生まれ。鹿児島県出身。
県立鶴丸高校に入学と同時に柔道を始め、1986年全国高校選手権個人で3位(55kg級)など、すぐに頭角を現す。一般入試で筑波大学体育専門学群に入学するも、度重なるケガで柔道を断念。その年の夏に柔道部を退部すると同時に大学も中退。医学部を受験しなおして医師の道へ進む。そこでの成績は、九州山口医科学生体育大会/ 西日本医科学生体育大会 柔道部門 女子個人戦優勝など。現在、今村総合病院スポーツ整形外科部長。
怪我をするほうから、治す方へ
――― 柔道との出会いを教えてください。
「中学まで陸上部の選手で、中3の夏に引退したんですが、その年の夏はちょうどロサンゼルス五輪開催の年だったんですね。テレビで山下泰裕会長の試合を見て感動し、感化され、柔道で心を鍛え直そうと高校から柔道を始めました(笑)」
――― そして、筑波大に進学されました。
「当時の私の夢は、地元九州で行われていた福岡国際(女子柔道選手権大会)に、日の丸をつけて出場すること。山口香先輩の姿を見てすごく憧れて、日本一の女子柔道部がある大学でやりたいと思い、一般入試で筑波に入りました。ところが、入学試験でケガをしまして(苦笑)。肩鎖関節を亜脱臼したんです。以来、ケガの繰り返しで最後のケガは、肋骨骨折。1年の夏の合宿中でした。このケガで、骨も折れましたけど、心も折れました。結局、日の丸をつけるどころか、桐の葉の柔道衣を着て試合に出ることは1度もありませんでした」
――― 在学時に医学部転向を考えた、と。
「はい。治療していただくうちに、ケガするほうから、次第にケガを治すほうにまわりたいという気持ちになりまして。1年生の9月に筑波を辞め、浪人して予備校に通い、翌年、大分医科大学(現大分大医学部)を受験して入学し直しました」
――― 一発合格とはすごいですね。
「高校は進学校でしたし、筑波の受験からブランクもそうなかったということがよかったのだろうと思います。専攻は、最初から整形外科しか頭にありませんでした。柔道をやり、ケガを経験したことが、医師の道へ導いてくれたと思っています」
ケガを『強くなるチャンス』に変えてほしい
――― 医学部で柔道は続けましたか?
「医学部の柔道部でやっていましたし、医師になりたての頃は大学で少しやっていました。いまはさすがにやっていません。外科医ですから手術のため、手は清潔にしていなければいけませんし、ケガなどもってのほかですから。試合を見るとやりたくはなりますけどね(笑)」
――― 柔道が生きていると感じること、また現在のやりがいなどお聞かせください。
「柔道が生きたこと、やはり根性ですか(笑)。長い手術もときどきあるんですが、そこで必要になる集中力、粘り強さは柔道で培ったものだと思っています。悩みも多いですけど、大きなやりがいを感じています。救護医として試合に行ったとき、自分が治療で携わった子たちが畳の上に戻っている姿を見ると、少しでも協力できたのかなと感じますし、このときが何よりの喜びです」
――― では、ドクターとして選手にアドバイスをお願いします。
「当科に来られるアスリートを診せていただくなかで、私が学んだことの一つに『ケガをするほとんどの選手には必ずケガにつながる原因がある』ということがあります。ケガの原因はケガをしたところ以外に潜んでいることが多いので、ケガしたところだけを治療しても再発したり、なかなかよくならないということが少なくありません。でもケガの原因を突き止めて克服していけば、ケガの治療・予防だけではなく、パフォーマンスアップにもつながっていくと感じています。
柔道はケガが多いスポーツとはいえ、選手にとってケガをして思いっきり柔道ができないことは、辛く、苦しいことだと思います。でも、ケガで柔道ができない時間こそ、自分の体そして柔道と向き合い、ケガの原因や自分の弱点を見つけてリハビリやトレーニングで克服し、ケガを『強くなるチャンス』に変えてほしいと願っています。私も医学の面からサポートしていけるよう、もっと技術を磨いていきます」
*本記事は『まいんどVol.15』に掲載された記事をweb版に再構成したものです。