――1987年にザンジバルに渡られて以来、漁業、運送業などをして雇用を生む一方、近年は貿易業の一環として、「ティンガティンガ・アート」(※)の普及にも力を入れらっしゃいますね。
私の場合、すべてそうなんですけど、人から頼まれたことを形にし、仕事としてきた訳です。柔道は仕事ではありませんが、どうしても柔道を教えてほしいといわれて始めましたし、漁業は、職にあぶれた漁師たちが漁船を作ってくれれば働くことができる、ティンガティンガであれば、日本でプロモートして絵で生計を立てられるようにしてほしいと。私は絵には興味はなかったんだけど、そこまで言うのならということで日本に紹介し始めました。今では一年中、日本各地で展示会が行われています。
(※)6色のペンキを使ってタンザニアの生活を描くポップアート。1960年末、建築作業員だったエドワード・サイディ・ティンガティンガという人が、建築現場にあったベニヤ合板に動物や風景を描いたのが始まり。
――ザンジバルの人々に頼りにされ、多岐にわたる事業・活動をされてこられたわけですが、これまでたくさんの困難があったと思います。どのようにして乗り越えてこられたのでしょうか。
アフリカの人々が経済的にも精神的にも独立して生活していくための手助けをすることそれが私の根本姿勢です。困難なんてあって当たり前、乗り越えるのは当然です。33年前にここに来てゼロから土地を耕し、種をまき、芽が出て、ここ数年でようやく実を結び始めた。今はそういうところなんじゃないかと思っています。
――現在、世界中で新型コロナウイルス(Covid-19)が蔓延し、厳しい状況に置かれています。島岡先生にこの状況はどのように映っていますか。
アフリカに長く住んでいる立場から正直に言いますと、新型コロナウイルスは先進国を中心に感染が拡大したからこれだけの大騒ぎになっているんだと思います。アフリカには、マラリア、エイズ、コレラ、エボラ出血熱、そのほかわけのわからない風土病がいっぱいあって、命を落とす人がたくさんいいます。コロナ以上に深刻な問題があるんです。だから、新型コロナウイルスに決して負けることなく、本来の生活を取り戻していけるようにしていきたいですよね。
それと私は柔道の弟子や会社の社員にも常に言っているのですが、いいことも悪いことも決して長くは続かないということです。だから、いいときは調子食らわず、悪いときはそれが一生続くと思って悲観的にならないこと。これは絶対に忘れてはいけないことだと思っています。
プロフィール
島岡 強(SHIMAOKA Tsuyoshi)
生年月日:1963年8月17日生まれ
出身:神奈川県
小学1年のとき柔道を始める。
愛媛大中退。
コーチキャリア:1992年より正式にザンジバルで指導。
居住国:タンザニア(ザンジバル)
ザンジバル柔道連盟名誉会長。東アフリカ柔道連盟理事。ザンジバル武道協会総帥。
タンザニアナショナルコーチ。全柔連国際委員会在外委員。(株)バラカ会長。