プロフィール
坂東 真夕子(ばんどう まゆこ)1977年香川県生まれ
株式会社 志道館 代表取締役 文武一道塾 志道館 館長
講道館柔道女子五段
主な戦績:
1998年 全日本学生柔道体重別選手権大会 52kg級 優勝
1998年 世界学生選手権大会(プラハ)52kg級 準優勝
2000年 富山国体 成年女子 優勝(東京都)
私は2013年8月に株式会社 志道館を立ち上げ、同年10月より文武一道塾 志道館 四ツ谷本部道場を、2019年4月からは二つ目の道場となる港南道場を、それぞれスタートさせました。株式会社で道場を二つ経営しているというのはレアケースだと思いますので、今回は、ここに至るまでの経緯を私自身の「キャリア」に焦点を当て、お話しさせていただきます。
私は中学1年生で柔道を始め、大学卒業後は警視庁に入庁し、26歳まで競技柔道に励んできました。柔道選手を辞めた後は、警視庁に残り一警察官として生きていく道もありましたが、色々と思うところがあり、27歳で警視庁を退職しました。警視庁退職後から35歳で文武一道塾 志道館を立ち上げるまでの約8年間は、民間の小規模企業でのセールスプロモーション、JASDAQ上場企業(転職当時)での求人広告の法人営業、外資系生命保険会社での保険外交員・営業管理職と、様々な職種でキャリアを重ねてきました。「働き方改革」が声高に叫ばれる昨今の風潮では考えられないかも知れませんが、民間企業での約8年間はとにかくよく働きました。朝7時過ぎには出社して、夜は気づけば周囲に人がいないということも日常の光景でした。しかしこれは、上司に強制されたことではありません。当時は営業職だったので、朝早く出社して準備を済ませて、少しでも早く営業活動に出る、顧客や見込み客からのご要望には少しでも早くお応えする、そんな思いからの行動でした。柔道の練習でいうと自主的に朝練、居残り練習に取り組んでいたような感じです。競技柔道と同じく、仕事も“量”からしか“質”は生まれないと思います。
多くの人が大学卒業と同時に社会に出ます。しかし、私の本当の意味での社会人デビューは27歳です。大学を卒業して会社員になったとしたら、27歳といえばもう社会人4~5年目です。企業の規模や方針によっても違ってくると思いますが、色々な仕事を任されて然るべき年齢だと思います。社会人としてのキャリアという観点からは、私自身が出遅れてる感は否めませんでした。だからこそ、その出遅れを一日も早く取り戻したいという思いで働きました。その努力が実を結び、営業職としてある程度の結果を残し自信がついた私は、さらなるキャリアアップのために外資系生命保険会社に転職し、営業管理職を務めました。この時の重要な仕事の一つが、保険外交員の新規採用・育成です。人材の育成に関わっている内に、大人ではなくもっと下の世代の育成に関わってみたいと思うようになり、子供を対象とした「教育事業」に興味を持つようになりました。自分が思い描く「教育事業」が、何を目的にするのか?何をコンテンツにするのか?本当に自分はそれがやりたいのか?等々考え抜いた結果、「柔道」にたどり着いたのです。そして2020年現在、道場経営者としてまた柔道指導者として8年目に入りました。文武一道塾 志道館には私以外の指導者も多数在籍していますが、指導者の皆さんのお陰もあり、このコロナ禍にあっても道場経営は概ね順調といえます。こうして改めて会社員として働いた日々を思い返すと、会社員としての約8年間の経験は、私の視野を大きく広げ、また社会人としてのスキルを大きく伸ばしてくれました。この経験がなければ、道場経営などという思い切った起業はできなかったと思いますし、今日まで事業を継続することもできなかったと思っています。
私は競技柔道を辞める時、競技者として自分が掲げた目標に達することができなかったことに大きな挫折感を感じました。あれから約17年経った今も心の片隅にその挫折感は存在します。しかし同時に、目標に向かって心身共にぎりぎりのところまで努力した経験は自信となり、その自信はいつの時代も私を支えてくれています。どんなに実績のある柔道選手でも、例外なく選手としてはいつか終わりを迎えます。選手時代よりも圧倒的に長い“その後の人生”をどう生きるか?これはその選手個人としても、柔道界全体としてもとても大切なことだと考えています。何故なら、私たち競技柔道経験者である大人が今をどう生きているのか?という現実が、柔道を習っている子供たちにとって、また、部活で柔道に打ち込む中高生・大学生にとって、柔道選手を辞めた後のベンチマークになると思うからです。そういった意味でも今回の記事を通して、柔道選手を辞めた後の選択肢の幅が少しでも広がり、新しいことにチャレンジしようという人が一人でもいればとても嬉しく思います。
日本ではまだまだ柔道場経営を生業としている人は少ないのが現状ですが、私自身は柔道場経営者という仕事ほど社会的意義を持った誇り高い仕事はないと思っています。これからもこの仕事を通して、柔道の魅力や素晴らしさを一人でも多くの人に伝え、また、私自身の姿が柔道場経営という選択肢もありなんだ、ということを後進に示していけるよう道場に立ち続けたいと思います。
次回は、世界学生選手権大会(1998年)へ共に出場して以来、
現在も親交が深い廣川真由美さんが登場します。