プロフィール
野瀬 清喜(のせ せいき)1952年 新潟県生まれ
全日本柔道連盟 副会長
講道館柔道八段
主な戦績:
1984年 ロサンゼルスオリンピック 86kg級 銅メダル
1981年 世界柔道選手権大会(マーストリヒト) 86kg級 2位
1983年 世界柔道選手権大会(モスクワ) 86kg級 3位
皆さん、こんにちは。この度、清水昭子さんからバトンを受け寄稿させていただきます。
私は本年8月に古稀(70歳)を迎えました。40年前の選手時代には11年間全日本強化選手に在籍しました。引退した翌年から女子コーチを12年間努め、ソウル・バルセロナ・アトランタ五輪に参加させていただきました。また、2006年からは現場復帰し、女子強化部長・女子ジュニアヘッドコーチを6年間努めました。全日本強化のみでも女子柔道に20年近く携わっており、もう少し現場にいれば、初期の頃に指導した選手たちの娘さんを担当できたかもしれません。
強化を担当した初期のころは、大会は全日本体重別選手権大会しかなく、地区予選を勝ち抜いた中学生たちが綺羅星のごとく現れ、大会の年齢制限14歳で全日本のタイトルを取り世界に飛躍するという選手もいました。当然のことかもしれませんが、これらの選手たちが高校・大学・実業団に進むにつれ、このようなシンデレラストーリーはなくなりました。また、これと並行して高校・大学などの各種大会に女子種目が取り入れられるようにもなりました。
時は流れオリンピック種目となった女子柔道は、日本男子のメダル獲得数を超える勢いです。この大きな飛躍は、女子選手たちの柔道に対する情熱のみでなく、草創期から女子柔道を支え応援してくれた企業や大学・高校などすべての関係者のご尽力の賜物であると感謝しています。
しかし、少子高齢化が進み「多様性の時代」と言われる今日では、柔道を取り巻く環境も大きく変化してきました。スポーツの多様化は多くの新種目を生み出し、東京オリンピックでは「スポーツクライミング」「サーフィン」「スケートボード」が採用されました。これらの人気種目は「プロ化」も進んでいます。また、多くのスポーツで野球やサッカーのようなリーグ戦が行われるようになりました。
これらと比べて日本柔道は登録人口を大きく減少させています。少子化による運動部数の削減は柔道部の廃部につながり、高校・大学から柔道を始めるという人材はまれとなりました。その傾向は女子において特に顕著なように感じます。
現在、「中学校運動部活動の地域移行」が大きな話題となっていますが、「柔道をやりたい」という少数派の生徒たちの希望を受け入れ、その受け皿を作る好機でもあると考えます。さらに高校進学後に柔道部のない生徒たちのフォローも必要です。
私は今後の研究課題として、「柔道と登録人口の増加」「運動部活動の地域移行」の問題のみでなく「勝利至上主義」「学校教育としての柔道授業」の問題にも取り組みたいと考えています。「楽しい柔道授業の体験」から「勝敗を競うのみではない柔道」「高校・大学から始められる柔道」などの事例を作っていきたいと願っています。
それにはまず、「机上の理論」のみでなく実践することが必要です。これからも毎週3回は指導者を養成する3つの大学(埼玉大学・淑徳大学・一橋大学)を回り、毎月2回、部員数の少ない高校を集めて合同練習を実施して、健康の続く限り「晴耕雨読」「自給自足」の生活を続けるつもりです。
次回は、野瀬さんが埼玉大学で指導をしていた頃の教え子であり、初代女子部員の渡辺冬花さんが登場します。