プロフィール
清水 昭子(しみず あきこ/旧姓:佐藤)1968年 岡山県生まれ
岡山県警察本部刑事部捜査第一課 課長補佐
講道館柔道女子五段
主な戦績:
1988年 アジア柔道選手権大会(ダマスカス) 72㎏級 2位
1989年 福岡国際女子柔道選手権大会 72㎏級 3位
1992年 皇后盃全日本女子柔道選手権大会 2位
1987~89年 全日本女子柔道体重別選手権大会 72㎏級 3位
このたび、大学の後輩で、学生時代は打ち込みのペアだった池田(旧姓:関口)佐智子さんからバトンを受け取りました。私が柔道をしていたのは四半世紀前のことですから、年齢もバレバレで恥ずかしい限りです。しかし、このような機会を頂いたからには、何とかおもろい話はできないかと考えて、昔の「全日本女子強化合宿」や柔道に対する思いについて話をさせていただきます。
第1「昔の全日本女子合宿」この話をこの場でご披露するにあたり、昔の諸先輩方から叱られるのを覚悟の上で、お話ししたいと思います。
むかーし昔の全日本女子強化合宿は、それはそれは話題の尽きない女子柔道家の集まりでした。
練習後、就寝までにプチ演芸大会が始まり、当時の大先生のモノマネに花が咲き、私が必死でモノマネをし、みんなで大爆笑しているところへ当の大先生がやってきて見つかってしまい、そこから永遠と大説教されたり・・・
合宿のご飯だけでは足りず、講道館近くにあったケンタッキーまでタクシーを使って買いに行き、後輩たちに1人1バーレルずつ買ってくれた心優しい大先輩がいたり・・・
昔の全日本女子強化合宿はまだまだ語りつくせない話がたんまりとありますが、続きは個別に先生方へお尋ねください。
お断りさせていただきますが、決して生ぬるい環境下で合宿をしていたわけではなく、今と変わらず皆オリンピックで優勝するために、必死で練習していたことだけは申し添えておきます。
第2「柔道に対する思い」
少しは真面目な話もさせていただきます。私は現在、岡山県の警察官として30年以上勤務しています。私は、平成2年に大学(国際武道大学)を卒業後、大阪府警察にて柔道特練員として4年間在籍し、ここで一旦は現役を引退したのですが、平成6年に故郷である岡山県警へ再就職し、再度現役復帰させていただきました。その後、28歳で現役を引退し、平成12年から現在まで約20年間「刑事警察」に身を置いています。警察の仕事は様々な分野の仕事に分かれていますが、どの分野においても「人」を相手にする仕事が殆どです。刑事警察も同じで、被害に遭われた方と接触する時は、その人の立場を理解し心情に配意することから始まります。逆に犯人と対峙する時は、警察組織が一体となり、被害者のために絶対に犯人を検挙するという強い姿勢で挑みます。これはまさに、柔道の取り組み方と同じだと考えます。
勝負する相手を見極め、勝利に向かって努力し、一方で自分自身を高めてくれる相手に対して敬意を払う。
様々な人を通じて自分自身を成長させてくれる柔道は、現在の私自身や仕事の原点となっていると感じています。
そして、現在私の娘も、私と同じく柔道の世界にどっぷりつかって修行中の身です。
娘は現在大学3年生ですが、警察官を目指して勉強中です。(合格するかどうかは別ですが・・・)
私は刑事警察を続ける中で、子供たちの試合や学校行事に参加できないことは多々ありましたが、こんな不甲斐ない母であっても、今まで子供たちから非難されたことは一度もありません。
その子供たちの優しさが私の仕事の糧となっていましたが、今度は一番寂しい思いをさせたであろう娘が、私と同じ道を歩もうとしています。親として、こんな嬉しいことはありません。皆さんもこれから高校、大学や社会人へと進学、或いは就職し、大きな壁にぶち当たったり人生の岐路に立つこともあるでしょう。
しかし、そんな時こそ自分たちが勝つために努力し、頑張ってきた「柔の道」を振り返り、そして家族を思い、時には立ち止まり自分で考えてみてください。 オリンピックでの優勝を目指し、大きな大会で勝利することも大切です。しかし、皆さんが頑張っている柔道がこれからの人生を歩んでいくための糧となり、必ずや自分自身を生かしてくれる「道」であることを忘れないでください。
最後に、柔道を通じて出会った恩師、苦楽をともにした仲間、後輩達は、年を重ねても忘れることのできない大切な「宝物」となるはずです。
これから出会う様々な出会いを大切にしてください。
次回は、清水さんが強化選手時代に全日本女子ヘッドコーチをされていた、野瀬清喜さんが登場します。