プロフィール
小澤 由里子(おざわ ゆりこ/旧姓:福場) 1971年 岐阜県生まれ
第一生命保険株式会社勤務
講道館柔道女子四段
主な戦績:
1994年 アジア競技大会 (広島) 72㎏級 3位
1994年・1995年 全日本選抜柔道体重別選手権大会 72㎏級 優勝
「元気か〜、声が聞きたくなってな〜。」
高校2年生で初めて全日本強化選手に選んで頂いた時から、私のことをずっと見守ってくださり、また私の人生の師でもある鮫島先生から、今回お声を掛けて頂きました。
改めまして、小澤由里子(旧姓:福場)と申します。私は自分の柔道人生を振り返ると、多くの方達との出会いの中でも、2人の「師」の存在が、柔道で得た大きな財産ではないかと思っています。ですので今回は、その2人の「師」について、お伝えさせていただければと思います。まずは今回バトンを渡して下さった鮫島先生についてです。
私は地元の県立高校で「柔道をする女子って格好いい」という本当に軽い気持ちだけで柔道に取り組んでいました。ですので全国大会出場や、ましてや強化選手に入ることなど全く想像もしていませんでした。しかし、ひょんなことから高校2年の秋に行われた強化選手選考会で上位に入ることができ、初めて「全日本強化合宿」に参加することになりました。初めて合宿に参加した日、岐阜の田舎から出てきた私は東京駅に着いたものの、講道館までの行き方すらわからず、見覚えのある赤い電車(丸ノ内線)に飛び乗って、奇跡的に後楽園駅に到着しました。が、ほっとしたのも束の間、実力・知名度ともに抜群の選手が揃う中、いざ稽古が始まると極度の緊張で、今すぐ岐阜に帰りたいと思ったことを鮮明に覚えています。出来るのは大外刈りだけで、受け身すらまともに出来ず、緊張と恥ずかしさで泣きながら稽古をする私に声を掛けて下さったのが鮫島先生でした。先生は「なんにも恥ずかしくないんだよ〜」と言いながら、基本の前回り受け身から丁寧に教えて下さり、それ以降もずっと気に掛けて下さいました。高校卒業後、発足したばかりの住友海上(現三井住友海上)女子柔道部に入部して本格的な競技人生を始めましたが、そこでも鮫島先生は常に私を前向きな言葉で励まして下さり、大会直前の不安を消し去って、自信を持って試合に臨むよう導いて下さいました。現役を引退して20年以上経ちますが、物事の判断に迷った時、鮫島先生から頂いた言葉がエッセンスとなって、力強い一歩を踏み出せています。私はあの時を振り返り、「出会い」というものが人生に与える影響の大きさをひしひしと感じています。
また鮫島先生と並んで人生の師でもある、住友海上監督(当時)の柳澤久先生のことも忘れてはなりません。柳澤先生は鮫島先生とは違い、優しい言葉を掛けてくれることはほとんどありませんでした(笑)。世界のトップを目指す、「柳澤理論」に基づいた非常に厳しい指導です。高校まで稽古で自分を追い込んだ経験がほとんどなかった私は、周りの選手と比べて技の習得のスピードも非常に遅く、「場違いなところに来てしまった」と、日本代表を目指すどころか今日一日をどう乗り切るか、だけを考える毎日が続いていました。それでも「なんとかみんなに追いつけるよう頑張らねば」と思い続けていたある日、柳澤先生が「お前ほど才能のない者は見たことがない、しかし努力できることも才能のうちなのだぞ」という言葉を掛けて下さったのです。これを機に「先生の指導を徹底すれば強くなれる」と信じて、誰よりも努力をすることを決め、より真剣に柔道に向き合うようになりました。こうして「柳澤マジック」にかかった私は、全日本選抜体重別選手権大会2連覇だけではなく、日の丸の柔道衣を身につけて、多くの国際大会に出場させていただくことができました。ここまでの成績を残すことができたのは、柳澤先生が徹底した厳しい指導の一方で、稽古に臨む姿勢から、人一倍努力すれば、私でも目標に到達できるという可能性を示していただいたお陰だと思います。柳澤先生は大会ごとにレポートを提出させて自分の頭で試合を振り返ることも徹底し、さらには「柔道バカになるな」と、一社会人としての常識を身につけるよう指導して下さいました。こうした柳澤先生の指導があったからこそ、今の自分があると、胸を張って言えるのだと思います。
鮫島先生は優しい言葉の一方で、指導の中にある、襟を正さなければならない緊張感。柳澤先生は、厳しさの中にある、選手一人一人への深い深い愛情。逆のアプローチにも思える2人の指導でしたが、根っこは同じではなかったかと思います。
競技人生を終えて、今思うことは「一生懸命取り組む」ことからの学び得るものは本当に多いということです。かつての私は住友海上というトップクラスの環境では一生懸命やらざるを得なかった。ただそのお陰で学び得たものはとても多く、辛かった事も全てが大切な経験として私の人生を豊かに彩ってくれています。
現在、私は週に一度地元の小学生に柔道指導をしています。元気いっぱいの子どもたちに伝えたいことは「何でも一生懸命やってみよう」ということです。可能性にあふれた子どもたちには、色々な経験をしてほしいと心から思っています。
人生のちょうど半分に差し掛かり、時折あの頃を懐かしく思い出しながらも「まだまだこれから!」と、奮起しながら毎日を送っています。
次回は、現三井住友海上火災保険株式会社女子柔道部発足当時、キャプテンとして部を引っ張って下さった宮崎未樹子さんが登場します。