プロフィール
森脇 保彦(もりわき やすひこ)1952年 広島県生まれ
国士舘大学 体育学部 教授
講道館柔道八段
主な戦績:
1977・80年 全日本選抜柔道体重別選手権大会60㎏級 優勝
1979年 モスクワプレオリンピック60kg級 優勝
1980年 モスクワオリンピック60㎏級 代表(参加中止)
1981年 第12回世界柔道選手権大会60㎏級 優勝
指導歴:
1883年~1996年 全日本柔道連盟強化コーチ
1975年~ 国士舘大学柔道部コーチ・監督・部長
佐藤(旧姓:村上)明代さんからJJ Voiceの連絡がありました。彼女は大学の教え子になりますが、東北の地で教員として3人の子育てをしながら女子柔道の普及と発展に活躍していることを誇りに思っています。
私は現役選手生活を終えた1983年頃から1996年アトランタオリンピックまでの13年間、柳沢久全日本女子監督のもとコーチの一員として強化に携わらせていただきました。当時、国内では長く女子の乱取練習や試合が禁止されていました。一方で、隣国と行き来し易い欧州の国々では一早く試合が開始され短期間の内に世界に広まりました。日本でも1978年第一回全日本女子柔道体重別選手権大会が開催され、2年後の1980年には第一回世界女子柔道選手権大会開催が決定して、慌ただしく大会に向けての選手強化の体制が整えられて行ったことが想像されます。その渦中の柳沢久先生が、「女子の出場選手が大変少なく強化指定選手や代表選手選考に苦労した」と言われていました。私がコーチに加えていただき最初の何年かは、全日本大会の各地区予選会に我々コーチが出向いて有望な選手発掘、また他種目から有望選手を勧誘して強化指定選手に加える事が行われていました。従って、強化合宿の練習は「怪我をしない・させない」基本の徹底を優先し、先ず最初の挨拶が終わり準備運動の後、大澤慶巳先生から選手全員受け身のチェックを受けることから始まりました。その後打ち込みへと続き、体を捨てながら巻き込む技は禁止し・、背中から投げ切る技の習得が徹底されました。一例ですが、コーチの鮫島元成先生は、選手とマンツーマンで毎日投げ込みを受け、投げ切る技を獲得させる為に尽力されていました。そうした取り組みの結果がソウル・バルセロナ・アトランタオリンピックの三大会における選手活躍に繋がったと思います。あれから40年、ルールも大きく変わり「投げ切る」から「掛け切る」に、「攻防」から「攻攻」の展開に変化し、常に表面的な攻撃スタイルの柔道が求められ、審判や一般観衆も試合の優劣が判り易くなりました。その結果、組み手争いと不十分な姿勢から倒れ込みながらの技が多くなった。また、受ける側も体を捌いて相手の技を受け止める受け方や姿勢が出来なくなってしまった。従って、怪我に繋がるリスクも高くなった。「柔道は心身の力を最も有効に使用する道である」と嘉納師範は言われている。今の組み手争いの練習はこの原理を身に付ける事は難しいと思う。強くなる為にはある一定の期間が必要で、年齢・時期に応じた指導や練習の検討が必要であると思います。
柔道は奥深く、各教育機関や施設において、柔道の特性を生かした柔道療育(学童保育)・肢体不自由者のリハビリ等に活用・研究されている。過去の事例であるが脳性小児まひ患者に柔道の受け身の動作を行わせたところ「捕まり立ちから、2~3歩き、連続で歩けるまで回復」したという。
私の現役時代は力が弱かった関係から力勝負は避け、スタミナ勝負で試合時間は常に動きまわる柔道であった。ただ動くのでは駄目で相手の足を動かす、一瞬止めるなど相手の動きを誘導する方法で、相四つの場合、引手は必ず相手の体の中心に近い肘関節を握って動きながら力を伝え反応させて技を掛けるチャンスを作った。現在、この理論を応用して、高齢者の転倒予防を目的とした「柔道けんこう体操」を考案し普及する活動を行っています。姿勢を崩して技を掛ける方法を利用して、転倒を回避する(姿勢反射機能)能力を訓練することを目的としたものである。技を掛ける手前までの動き・姿勢維持の訓練が目的で投げることではない。中学校武道必修化の体育の授業でも安全に活用して頂ける内容でもある。
来年は定年となりますが、違う立場で柔道の素晴らしさを伝える活動に邁進して行きたいと決意しております。
次回は、全日本女子強化コーチとして共に女子柔道の創成期を支えた、鮫島元成さんが登場します。