まいんど vol.42 全日本柔道連盟
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――柔道を始めたきっかけは?――中学・高校は、白石先生が指導する九州学院へ。――大学は帝京大学へ。卒業後は実業団の強豪コマツに進みます。――引退後は、地元の熊本県に戻り、建設機械のサービス業務を担当しました。――現在、指導者として柔道に携わっています。状況を客観的に見て気配りできるのは、柔道のおかげ「子どもの頃は水泳にピアノ、ブラスバンドなど経験しました。体が大きかったこともあり小学5年の時、叔母に道場に連れて行かれたのが最初でした。白石礼介先生のご自宅にある道場に入った瞬間、空気の違いを感じました。教え子である山下泰裕先生のオリンピックの写真が壁一面に飾られ感動しました。白石先生は褒めてその気にさせるのが上手なんです。会った日から『トランペットを吹いていてもオリンピックはないぞ』『一緒に世界を目指そう』と声をかけていただき、すっかりその気になりました。小学校時代は一度も試合に出たことがありませんでした。日々の練習のなかで、先輩を投げられるようになる。白石先生がそれを褒めてくれて上達していることを実感する。それがモチベーションになりました」「九州学院はもともと男子校で、私が中学女子の1期生でした。練習相手もほとんどが男子。男子を投げるのが楽しかったです。腕立て伏せから始まり、実戦形式の練習、終わったらまた腕立て伏せ…白石先生は『人の2倍3倍練習しないと強くなれない』『そうすると世界一になれる、泰裕はね…』と、山下先生の話をしながら世界一と、嫌みなくさらっと言われるんです。いま思うと帝王学でした。高校1年の時、全国高校選手権で優勝したことで、自分がどれくらいの力なのか気づき、世界を目指すことが現実的な目標になりました」「大学1年の終わり頃から自分の柔道スタイルが見えてきた気がします。その頃壁になったのが、阿武教子さんでした。最初は憧れの存在でしたが、98年に選抜体重別選手権の決勝で対戦してからは『倒さないといけない』存在になりました。4年連続で、決勝で対戦。やっぱり強かったですね。体幹が強い、メンタルも強い。対策もたくさんしましたが、もう一つ詰め切れませんでした。環境を変え、背負投の名手である松岡義之先生の指導を受けたかったのと、セカンドキャリアのことを考えて進路はコマツに決めました。松岡先生からは、柔道のセオリーを改めて教わりました。組み手が得意だったので、それを活かせるよう体の軸や目線を意識する。なんとなく理解していたことが言語化されること    で整理されました。また実業団の選手を続けるうえでの心構えも教わりました。私たちは練習優先で、職場に行くのは週に何日か。社員の方は毎日働いたうえで応援に来てくださる。それに応えられるよう精一杯努力し結果を出すことが恩返しになると言われていました。現役時代を振り返ると、国際大会で結果を出せた年もあったのですが、ここで勝たないといけない試合で勝ち切れなかった。メンタルの弱さだったのかもしれません。『あそこで勝っておけば…』とその後もしばしば夢に出ました。少しずつ成績が下がるなか、一番手二番手の争いをしてきたなかで、このままでいいのか、という思いもあり2007年の選抜体重別選手権を区切りにしました」「入社する時に、将来は地元で働ける契約にしていたんです。同年代に比べ、社会人としてのスタートが遅く、最初は劣等感ばかりでした。商品に関する知識はもちろん、お客様の名前やどのようなサービスを求められているかなど、覚えることばかり。選手の頃はお客様からの苦情を受ける経験もなかったので最初は驚きました。葛藤もありました。かつて一緒に世界で戦っていた仲間が指導者として活躍している。一方自分は今まで柔道で生きてきたのに、得意分野じゃないところで苦しんでいる。悔しくてオリンピックを見られない時期もありました。新入社員のつもりで、わからないことは質問する。それを繰り返していくうちに、徐々に『こうすればいいパフォーマンスができる』と理解できてきました。お客様の要求に応えられるよう精一杯努力を続け、信頼していただけるようになった今は、楽しく仕事できています。周りの状況を客観的に見て気配りや目配りができるのは、柔道のおかげです。現役時代、試合・練習でもう一人の自分が俯瞰する状態をつくれていたので、同じように相手が何を考えて何を求めているか、だったらこうすると喜ぶんじゃないかと考えることができました。これは柔道で培った力ですね」「結婚・出産を経て、子どもが柔道を始めるのと同時に私も指導に携わりました。現在、大真館柔道場で小中学生を指導しています。日本一を目指す子もいれば、黒帯が目標の子もいる。なぜこの練習が必要か、なぜこの動きが必要か、説明を大事にしています。負けたら悔しいし、練習中は苦しいことも多い。どのような状況でも妥協しないように、少しでも前向きになれるようにフォローしてあげたいと思います」▲現役時代は78㎏級で活躍▲会社で製品のブルドーザーと▲大真館柔道場の子どもたちPROFILE松﨑みずほ まつざき・みずほ1979年生まれ。熊本県上益城郡御船町出身。小学5年から白石礼介氏の指導のもと柔道を始める。九州学院高校1年時に全国高校選手権で優勝。帝京大学に進学後、98年の全日本選抜体重別選手権で決勝進出。以後2001年まで4年連続で2位。02年フランス国際優勝。04年全日本女子選手権3位。現在、小松製作所の国内販売部門のコマツカスタマーサポート(株)に務めながら、大真館柔道場で柔道を教える。78㎏級の国内トップ選手として大学・実業団で活躍。引退後は、故郷・熊本に帰り建設・鉱山機械の大手メーカーに勤めながら子どもたちの指導に携わる、松﨑みずほさんを紹介します。FILE.2722まいんど vol.42やわらたちのセカンドキャリアやわらたちのセカンドキャリア〜私たちの選択〜〜私たちの選択〜松﨑みずほさんが選んだ道建設・鉱山機械メーカー勤務

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