島根県濵岡塾 湊哲哉現役を引退して一旦柔道を離れると、柔道衣は押し入れの奥にしまったまま…。そんな柔道家がたくさんいます。柔道は肉体的にも精神的にも厳しい競技です。でも断固たる決意がなければ再開できないものでしょうか。そんなことはありません。懐かしい柔道、あの頃の気持ちに戻ってみたいという気持ちだけで十分です。全柔連が推奨する『七割柔道クラブ』は、受け身や打込だけでも、寝技だけでも大歓迎です。『もう一度柔道プログラム』は、一度離れた柔道への復帰を図る手立てです。柔道で自分は成長できたという思いさえあれば、誰でも一歩踏み出すことができるのが柔道です。そして、もう少し頑張りたいと思ったら一歩踏み出すこともできるのも柔道です。そんな活動が、全国に広がっています。柔道を再開しました。 柔道を続けます。私が柔道と出会ったのは、5歳にさかのぼります。何もわからず道場へ連れて行かれた時のことは、今もなお鮮明に覚えています。小学校時代は勝った記憶もなく、中学校へ進学と同時に柔道はやめようと思っていました。しかし、やめる勇気もなく中学、高校、大学と柔道を続けてきました。幸いなことに中学時代には全国大会に出場することができ、高校時代も恵まれた柔道環境の中、インターハイや高校選手権にも出場することができました。高校時代の同級生の中には、かつての中学時代のライバルも多く、その仲間と奇跡的に同じ高校へ進学したことがきっかけで、社会人10年目になった今でも、柔道という絆での付き合いがあり、この度の柔道カムバックへと繋がっています。私は大学卒業と同時に柔道から離れ、柔道と縁のない社会人生活になりました。そんな生活が10年ほど続いたある日、高校時代、切磋琢磨した同級生と、「もう一度柔道をやらないか? あの畳の上の緊張感をともに共有しないか?」という話になりました。最初は半信半疑でしたが、集まれる日程を調整したり、道場を貸してくれる後輩が協力してくれたりと、気がつけば年齢や職業の垣根を越えて多くの仲間が集まるようになりました。その勢いで、大会への挑戦を思いつき、練習をサポートしていただいている方々のお陰で、この度実業団大会への出場となりました。社会人になっての初めての大きな大会となる今回の実業団大会への出場に際しては、家庭を持っているメンバーも多く、中には一家総出で応援にも来ていただきました。結果は、出場した3チームすべてが1回戦敗退となりましたが、限られた時間の中で、ともに汗をかき、高校生に胸を借り、楽しんだ数か月は、私たちの心に火を付け、そして大きな財産となりました。私も試合時間はおよそ1分程度でしたが、開始線にメンバーとともに立った瞬間の鼓動、お互いに鼓舞する声援は、かつて青春を捧げた柔道の一場面をまた思い出させてくれました。私たちは、これからも歳を重ねていきますが、一度再燃した「カムバック柔道」は、これからも私たちの心を掻き立ててくれています。さまざまな友に参加を呼びかけ、輪を広げ楽しい柔道の恥ずかしながら伝道者の一人として、それぞれがそれぞれの環境でできることをし、集まり、柔道を楽しみ、爽やかな汗を流し、少しでも長く柔道が続けられるように声をかけ合っています。でもやはり、心の中ではめざせ1勝です。この度、また柔道ができる機会を作ることができた仲間に感謝し、そして大会に挑戦する機会を与えてくださったすべての方々に感謝し、何歳になっても柔道を趣味特技として、楽しさの輪をこれからも広げていければと思っています。ビバ柔道、集まれ柔道、はじめよう柔道、続けよう柔道、柔道仲間、本当にありがとう。▲仕事を終えてひと汗流す▲久々の試合に緊張20まいんど vol.42〜柔道を「続けよう」「始めよう」〜〜柔道を「続けよう」「始めよう」〜普及普及のの広場広場
元のページ ../index.html#21