――柔道を始めたきっかけは?――中学・高校は柔道部がない環境で続けました。――卒業後は刑務官の道を選択。――柔道は自分の今の仕事や、人生にどう役に立っている?――いま柔道人口減り、特に女子は中学高校で激減しています。「小学校1年の時、姉が米子市武道館に空手を習いにいくことになり、私もついていきました。空手はうまくできなかったのですが、その後の時間に行われていた柔道をやってみたら、楽しかったので、そのまま続けることになりました。練習は、火木土の週3回。競技志向ではなく、どちらかというとゆるいくらいの感じで、行っていろいろな学校の子と遊べるのが楽しいという感覚でした。転機は小学5年の時。全国大会に出場したら、みんな強い。予選で2敗して悔しくて、『もっと頑張りたい』と思うようになりました。木曜は少年部の練習が終わった後に、中学生から一般のクラスに参加。土曜は、午前に鳥取県立武道館で行われていた合同練習に参加して、午後また少年柔道に参加する二部練をするようになりました。米子市柔道少年団の寺坂公先生が、山登りが好きだったので、トレーニングがてら一緒にいろいろなところに登りに行ったのも楽しい記憶です」「進学した福生中学校に部活がなかったので、月水金は県立武道館、木曜は少年柔道、土曜は合同練習と、いろんなところで練習するようになりました。夏休みは市内の部活がある学校や、県内の強豪・倉吉北高校にも出稽古に行きました。妹も柔道をしていたので、一人じゃなかったからそこはあまり苦じゃなかった。特定の先生につくのではなく、行った先々でいろいろな先生に教わりました。小さい県なので出稽古に行っても、小学校からの顔見知りも多く、だんだん仲間みたいな感じになっていきました。日野高校に進んでからは、米子東の森大吉先生に声をかけていただき、練習に参加するようになりました。日野高校から帰ってからだったので、どうしても練習の途中から参加することになって、そこは難しさも感じました。そこまでして続けていた理由は、やっぱり柔道が好きだったんでしょうね。練習休んだ時に、母から『いらいらしている』、『柔道している時のほうが気持ちが安定している』って指摘されました。自分では感じていなかったけど、そうなんだと気づかされました。高校に入ってからは、自分の柔道に自信が持てるようになりました。小中と鳥取県内では勝てても全国大会では勝てない。『やっぱり人口の少ない県だからなあ』と弱気になっていたのですが、米子東高校にくっついて遠征にいって、全国大会で活躍するような選手と少しずつ引き分けたり勝ったりできるようになるうちに、自信がつきました。高校1年の終わり、高校選手権の無差別で2回勝ってベストました。組み合わせにも恵まれましたが、結果を出せました」「高校3年生の時、県内の大会に出た時に、鳥取刑務所の方から募集していると聞かされました。当時進路も決まっていなかったのですが、先に母がくいついて『公務員だし、いいじゃない』と(笑)。それで、なんとなくその気になって、森先生に相談したら『中途半端な気持ちだったらやめなさい』と言われてしまいました。それからいろいろな方に話を聞いて、武道区分で受けるのであれば、柔道をやってきた者としてちゃんとしようと思い、勉強も頑張った結果、受かりました。現在は主に事務的な仕事をしています。窓口の受け付けに、電話やメールの対応も。人と関わることが多いので、丁寧に対応することを心がけています。受刑者と直接接する職員をサポートする立場なので、仲間から『助かったよ』とか声をかけられるとうれしいですね」「まずは挨拶とか礼儀ですね。社会人として上下関係を含めてきちんと対応できることを求められるので、意識しないでもできるようになっていたのは、強みだと思います。正直、柔道をやっていて『良くなかったこと』は一つも思い浮かびません。私が柔道を通じて出会ったのはいい人ばかりでした。少ししか関わっていないのになぜか助けてくれる人が多くて。柔道部がない中でもいろんな先生が気にかけてくれて、そのおかげで続けることができました。いまも刑務官の大会や形の大会にも出場しています。さすがにちょっときつくなってきましたけど…(笑)。柔道をやっていなかったら今の仕事にもついていないでしょうし、どんな人生を送っていたか、ちょっと想像できないです」「頑張っていれば誰かが支えてくれます。学校に部活がなくて、そこで柔道ができなくても、やりたいという気持ちを持っていれば『練習に来ていいよ』と言ってくれる人がいます。きっと周りに支えてくれる人が現れるから、諦める必要はありません。私自身の経験からそう思います」頑張っていれば誰かが支えてくれる26▲いまも試合に出場。形競技にも挑戦▲出稽古でお世話になった森大吉先生とPROFILE小笹奈々 こざさ・なな1997年生まれ。鳥取県米子市出身。小学1年生の時、米子市柔道少年団で柔道を始める。5年生の時、全国小学生学年別柔道大会に出場。米子市立福生中学校3年時に全国中学校柔道大会に出場(57㎏級)、鳥取県立日野高校1年で全国高校選手権無差別ベスト16、2年時も出場(63㎏級)、3年時に全国高校総体出場(63㎏級)。高校卒業後、鳥取刑務所で勤務。2023年全日本柔道形競技大会に中国地区代表として出場するなど、現在も柔道と関わる。小学校から柔道を始め、中学・高校では自分の学校に柔道部がなかったため、つねに出稽古の日々。そこで出会った柔道仲間や指導者とのご縁を力に全国大会にも出場。現在は刑務官として、受刑者と接する同僚のサポートを行う、小笹奈々さんを紹介します。16。高校3年の中国大会では3位に入りまいんど vol.41FILE.26やわらたちのセカンドキャリアやわらたちのセカンドキャリア〜私たちの選択〜〜私たちの選択〜小笹奈々さんが選んだ道 刑務官
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