まいんど vol.40 全日本柔道連盟
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29回目◀写真2 ブータン自他共栄カップセミ 柔道をグローバルな視点から考えると、わが国の状況だけではなく、各国の栄枯衰勢は常に把握しておかなければならない。その流れが日本にも影響し、ひいては柔道全体にも影響を及ぼすからだ。ブータンに、ともったその明かりは、世界における柔道発展の大切な灯火(ともしび)だ。一度ともった灯火が柔道界を照らし続けるよう、我々は大切に見守っていかなければならない。1)IJF HP:第2回ブータン自他共栄カップ.https://www.ijf.org/news/show/the-second-jita-kyoei-international-judo-tournament-is-a-successナーを受講する選手たち▲写真1 左から福井勇貴氏、片山理恵氏、山崎道洋氏 教育普及・MIND委員会では、日本の柔道教育普及活動をより充実させるために、各国連盟の協力のもと、世界の柔道最新事情や取り組みについての調査・報告をしております。近年、柔道の競技人口低迷にあえぐ中、精力的に柔道の発展に力を入れている国があります。その中の一つが、ブータン王国で、2010年に初めてブータンに柔道が紹介され、日本でもその取り組みが注目されました。今なお、少しずつですが発展を遂げるブータン柔道の現在をレポートします。 近年、我が国ではインターナショナルという言葉にかわり、グローバルという言葉が浸透しつつある。つまり、これまでの日本からみた世界ではなく、地球規模で物事を捉えようと考え方だ。日米和親条約(1854年)による開国から170年、今や日本はグローバル教育まっしぐらだ。一方、ブータン王国はというと、1971年に国連に加盟し、他国との交流が始まったのがここ数十年の話である。それまではというと、自国の文化やアイデンティティ保護のために鎖国政策をとっていたのだ。 2010年にブータンに初めて柔道が渡り、その6年後の2016年には国際柔道連盟に加盟した、そして、2020東京オリンピックにはブータン代表としてンガワン・ナムゲル選手(60㎏)が出場している。また、2022年には、当時日本の大学に留学中であったタンディ・ワンチュク選手、キンレイ・ツェリン選手が全日本学生柔道形選手権の「投の形」において3位入賞を果たすなど、柔道が始まってからわずか10数年で目覚ましい成果を残してきた。 ブータン柔道を主に牽引するのは、ブータン柔道連盟カルマ・ドルジ会長とブータンで初めて柔道を導入した中高一貫校ペルキル・スクールの片山理恵校長だ。国内においてまったく柔道が知られていないなかで、子どもたちの教育のために格闘技を導入することを検討し、そのなかで最も教育的価値が高いであろうという柔道を選択したという。 2024年現在、ブータン柔道の中心的指導者は、JICA海外青年協力隊で派遣されている福井勇貴氏だ。初代指導者の山崎道洋氏から数えて5代目のコーチとなる。ブータン国内の柔道クラブは3つあり、そのうちの1つのクラブは、青空道場で屋外教育普及・MIND委員会 教育普及部会 文/曽我部晋哉(甲南大学 教授)に畳を敷いて活動している。おおよその柔道競技人口は、250~300名あまりだ。その年齢構成は、ほとんどが子どもであり成人は極わずかである。欧州に柔道が最初に伝わったイギリスでは、当初ほとんどが成人男性であったことを考えると、やや趣が異なる。また、シニアクラス(13歳以上)では9割が男子で、ジュニアクラス(おおよそ8歳~12歳)ではちょうどその割合は半分ぐらいだが、特に女子の継続率が悪く、長く続かいない人が多いそうだ。 2024年2月には、国内で初めての国際大会となる“2nd Bhutan Jita-Kyoei International Judo Tournament”が開催1)され、我々も運営サポートを行った。福井さんはこう語る。「私たちのような日本人指導者がいつまでもサポートできるわけではない。いつかは自分たちでやらなければならない時が来る」柔道の発展をグローバルな視点から考えよう~ブータン王国のこれまでとこれから~

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