まいんど vol.39 全日本柔道連盟
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――柔道を始めたきっかけは?――大学でも柔道を続けました。――当時はどんな練習を?――大学卒業後は社会言語学を専門に。――柔道は自分のいまの仕事や、人生にどう役に立っている?「小学生の頃から『強くなりたい』『始めやすいのは柔道かな』という漠然とした憧れをもっていました。中学校で始めようと思っていたら、入学した年に柔道部が潰れてしまい、いったん持ち越し。私は三姉妹の一番下なのですが、2番目の姉が先に高校で柔道を始めてしまい、家でよく技をかけられていました。その影響もあってか、高校から柔道部に入りました。もともと体育は苦手で、特に団体競技は人に迷惑をかけるので大嫌いでした。でも柔道は受け身だけでも何週間もかけて、誰にも迷惑かけず、自分で工夫しながら一歩ずつ進めたので、『これなら続けられる』と思いました。当時、南多摩高校柔道部は、3学年で20人以上いて活気がありました。顧問は英語の先生でしたが、基礎から丁寧に指導してくださいました。高校時代はだいたい1回戦負けでしたが、強い後輩が入ってきてくれたおかげで、一度だけ団体戦で都大会に出場しました」「進学したお茶の水女子大には柔道部がなくて、近くの大学で参加させてもらえるところを探して、東大柔道部のホームページにたどり着きました。ちょうど私が問い合わせをした少し前に女子が2人入っていたので、入部させていただけました。その点、本当に運が良かったです。最初は『みんな勉強に支障がない程度にやっているんだろう』となめていましたが、実際はまったく違っていた(笑)。カルチャーショックを受けましたね。当時は、試合シーズンになると道場に泊まり込んで合宿をしていました。朝、東大の本郷キャンパスで練習して、お茶の水女子大へ移動。講義を受けて、また東大の練習に参加する、そんな生活でした。体力を温存するために講義の合間にベンチで昼寝していましたが、女子大にはそんな人はいないので、変人扱いされていました(笑)」「当時、東大は師範が津沢寿志先生(1971年世界選手権軽中量級優勝)、コーチは大迫明伸先生(1988年ソウル五い一流の先生方に指導していただきました。東大は寝技のイメージだと思いますが、私の頃は立技が中心でした。体落を練習していたのですが、大迫先生から『船戸は釣手の筋力が足りないから背負落のほうがいいんじゃないか』とアドバイスを受け、さらに津沢先生からは『背負落から大外刈に連携するのも効果的だよ』と教わり、一生懸命練習しました。大迫先生には乱取稽古もつけてもらいました。組んで私の技を受けてくださるだけで、時々技を返されるくらいなのですが、他の選手との乱取の何倍も疲れる。操られる感じというか、不思議でした。東京都輪86㎏級銅メダル)。もったいないくら国公立大会では、1学年下の藤井通子さん(現東京大学大学院理学系研究科天文学専攻天文学科准教授、東京大学柔道部部長)が52㎏以下級、私は超級と、個人戦2階級両方を2人で制することができました。東大柔道部は男子校の雰囲気で、人間関係でもかなりいろいろさらけ出す印象でしたが、それとは対照的に、お茶の水女子大は弱みやダメなところはあまり人に見せないという雰囲気があり、まったく違う文化を両方経験できたのもおもしろかったです」「大学時代は国文学専攻で古事記などを研究していたのですが、大学院に進学する際に、社会言語学や日本語教育に切り替えました。きっかけはフランスのエコール・ポリテクニーク(フランスのエリート養成機関グランゼコールの一つ)の柔道部と交流した経験です。日本語を話せる方も何人かいたのですが、文法的に間違っているわけではないのに、言葉の選び方が、日本語を母語にする人とちょっと違う。言葉には、文法では測れない部分があることに関心を持ちました。社会言語学は、言語と社会との関わりを研究する学問です。例えば、同じ『お金を借りる』という場面でも、文化によってまったく表し方が違います。日本文化では、借りたい事情や返す期限、借りることに対する謝罪など、本題の『貸して』以外にさまざまな表現を添えることが一般的です。一方、例えば中国では、単刀直入に『貸して』と伝える人が多く、日本のようにこまごまと表現を添えるのは『水くさい』と受け取られるそうです。これはあくまで一例で、私たちは、文化だけでなく世代や人間関係など、あらゆる要素に影響を受けて言葉を遣います。とてもおもしろいですよ」「柔道のおかげで、できるかできないかよくわからないことに出会っても、『とりあえずやってみよう』と思えるようになりました。元々はすごく消極的な性格なんですが、体全体を動かして全力を出し切る経験を重ねるうちに、自分にはできないだろうと思っていたことも意外にできるようになることがわかりました。千本打込とか、合宿初日とか、最初は『永遠に終わらないんじゃないか』と思うじゃないですか。でも、必死にやっていれば、いつかは終わる(笑)。また、やってみてダメでも、その経験は決して無駄にならないですよね。いま学生と接していて、例えば卒論指導などでも『これで書けますかね?』と、『やれる』ことを保証してもらいたがる人が増えているように思います。やってみてダメでもいい。行って戻って…は決して無駄じゃないと、伝えています」 やってみてダメでもその経験は無駄にならない▲現在は玉川大学准教授として活躍▲東大柔道部の同期、恩師とPROFILE船戸はるな ふなと・はるな1981年生まれ。東京都八王子市出身。高校1年生のとき、都立南多摩高校で柔道を始める。お茶の水女子大学に進学するも、柔道部がなかったため、2年時から東京大学柔道部の練習に参加。大学4年時には東京都国公立大会女子52kg超級で優勝。お茶の水女子大学大学院から社会言語学・日本語教育を専攻し、2022年から玉川大学リベラルアーツ学部准教授に。高校から柔道を始め、大学では自分の大学に柔道部がなかったため東京大学柔道部の練習に参加。そこでの経験をきっかけに社会言語学の道へ。現在は大学で社会言語学や日本語教育に取り組む船戸はるなさんを紹介します。31まいんど vol.39FILE.24やわらたちのセカンドキャリアやわらたちのセカンドキャリア〜私たちの選択〜〜私たちの選択〜船戸はるなさんが選んだ道 社会言語学者

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