▲現在は故郷・香川で治療院を開き患者と向き合う▲牟礼柔道スポーツ少年団でコーチを務める――柔道を始めたきっかけは?「小学校の相撲クラブで横綱になって、顧問の先生に『柔道に向いてるぞ』と言われたのがきっかけです。『気合を入れないと』と、自発的に坊主にして、牟礼柔道スポーツ少年団に入部しました(笑)。1年後の県大会で2位になって、のめり込みましたね。牟礼柔道スポーツ少年団の指導者の方々に、厳しくもあり優しくもあり、柔道が好きになるようにうまく導いていただいたと思います」――中学校、高校でも続けました。「牟礼中学では女子が少なく、男子とばかり練習していました。放課後学校で練習して、夜はスポーツ少年団でまた練習でした。中学3年で初めて全国大会に出場しましたが、このときは足首の靱帯を損傷して力を発揮できず、その悔しさで高校でも続けようと思いました。高松商業では細川真司先生の方針が自分で考えて行動を起こす柔道だったので、一時期迷い、スランプに陥りましたが、『自分でやるしかない』と腹をくくったことで成長させていただきました。当時の得意技は一本背負投。細川真司先生が得意だったので寝技もみっちり鍛えられました。当時は『なんでこんなに寝技ばかり?』と思っていましたが、濱田尚里選手の試合を観て、「寝技大事!」と気づきました(笑)。高校でもケガには苦しみました。2年の高校選手権県予選では2週間前の合宿で、投げ足を受けて半月板を損傷。予選の決勝戦では開始早々「有効」でリードされたうえに、出足払を受けた際に膝がロッキングして足が動かなくなりました。最後の数秒で必死にしがみつき双手刈で「技あり」で勝った瞬間は本当にうれしかったです。そのまま入院、手術になり、2か月後の本番には間に合わず、初戦敗退。このケガに苦しんだ経験が、進路を考える大きなきっかけになりました」――進路に選んだのは医療系専門学校でした。「最初は正直『進む道を間違えた』と思いました。柔道だけしかしていなかったのが一気に勉強中心になって、ついていくのが精一杯でした。柔道も続けましたが、競技としてではなく楽しむ程度。草津高校など出稽古に行くたびに温かく迎えていただいて、よい息抜きになりました。理学療法士となり、就職した船橋整形外科病院は、老若男女、プロスポーツ選手まで、ありとあらゆる患者さんが訪れる有名な病院です。そこで延べ8万人の患者さんのリハビリをサポートさせていただきました。毎日とても過酷でしたが、今はそれが大きな財産になっています。この時期は柔道で培った体力が本当に役立ちました。少々のことではへこたれない、ある種の『鈍感力』というか『辛抱する力』。それは柔道のおかげだと思います。――その後、香川に帰る決断を?「鍼灸治療も必要だと思い、病院は時短勤務にしてもらい、夜間の学校に通う生活が3年続きました。この時期、少し頑張りすぎました。免許を取ったあと、燃え尽き症候群のようになってしまい体調を崩して療養のために帰郷しました。結果的にこれがいい転機になりました。療養の傍ら、少しずつ鍼灸治療の師匠のもとで修行し、7年前に鍼灸治療と理学療法を組み合わせた治療院を開き、独立しました」――柔道にも再び携わるように。「スポーツ少年団の先輩方から誘っていただき、7年前から道場に立つようになりました。柔道の指導だけでなくケガした選手のサポートもしています。子どもたちが試合前にケガをしても痛みを取って試合に臨ませてあげられる、そして勝ったときの喜びを先生方、親御さんと共有できる価値は何事にも代えがたいです。おととし結婚し、今は子育て真っ最中で道場に立てていませんが、落ち着いたらまた息子を連れて復帰したいです」――お仕事に柔道はどのように役立っている?「仕事の目標は、『痛み』を取ってあげること。整形的な影響、内科的な影響、その他生活環境など、さまざまな要因が絡み合っての痛みなので1回目の受診時が勝負。総合的にしっかり評価し根本的な症状の改善を目指しています。自分の手に負えないと判断したときは病院に行くよう指示することもあります。患者さんに敬意をもって対応し、信頼関係を築く。柔道を学ぶ中で自然に身についたものは大きいです。体力があったからこそ、どんなことにも挑戦できたと思います。挫折してもへこたれず歩みを止めなければ、その挫折も意味のあるものになる。社会に出ても辛いことや理不尽なことは多々ありました。そんなときに辛いことから逃げない克己心や、戦い続ける精神力も柔道で培われたと思っています。私の過去には歩いてきた柔道の『道』があり、今からもその道を歩いて行こうと思っています。最後に、今でも大好きな柔道に携わることができているのも、私の人生の原点である牟礼柔道スポーツ少年団の先生方のおかげです。この場をお借りして感謝を伝えたいです」歩みを止めなければ、挫折も意味のあるものに高橋扶吉子 たかはし・ふきこ1979年生まれ。香川県高松市出身。小学校5年生の時に、牟礼柔道スポーツ少年団で柔道を始める。牟礼中学3年時に全国中学校柔道大会に出場(52㎏級)。高松商業でも全国高校選手権に出場(61㎏級)、高校3年時には四国大会で優勝。滋賀医療技術専門学校卒業後、船橋整形外科病院に勤め、理学療法士としての経験を積み、鍼灸師の資格も取得。その後、香川県で「扶泉しんきゅう治療院」を立ち上げる。現在は牟礼柔道スポーツ少年団でコーチも務める。PROFILEやわらたちのセカンドキャリアやわらたちのセカンドキャリア〜私たちの選択〜〜私たちの選択〜小学5年生から柔道を始め、自らのケガをきっかけに理学療法士の道へ。鍼灸やピラティスの技術も取り入れ、故郷で独立。治療院を営みながら、スポーツ少年団で子どもたちを支える高橋扶吉子さんを紹介します。高橋扶吉子さんが選んだ道理学療法士・鍼灸師FILE.2328まいんど vol.38
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