上智大学と南山大学の交流戦『上南戦』伝統歩くを上智大学と南山大学、同じカトリック系の両大学が全26競技で総合優勝を争う『上南戦』。1949年に始まった歴史ある交流戦をレポートします。(文・加納幸喜 広報委員)夏本番を目前に控えた梅雨曇りのなか、お洒落なイメージで知られる上智大学・四谷キャンパスの構内は、その瀟洒(しょうしゃ)な校舎が醸し出す落ち着いた雰囲気とはうらはらに沸き立つような熱気に包まれていた。上智大学・南山大学総合対抗運動競技大会(以下、上南戦という)。同じカトリック系の両大学が全26競技で総合優勝を争う大会で、多くの競技が同一会場、同一日程で開催されるという珍しい形式が特徴だ。「大学行事に準ずる」の位置づけで一年ごとに舞台を東京と名古屋の持ち回りで行われ、今年で64回を迎える。(第61回、第62回はコロナ禍のため中止)きっかけは伊勢湾台風もともと両大学の交流は南山大学が設立された1949年に「文化体育両面」の交流条約が結ばれ野球などのスポーツ競技の試合、文化面でも絵画、新聞等の交換を取り決めたことに始まるという。だが、このスポーツ交流も各競技がバラバラに行うようになったことで学校対抗の趣旨がなくなったとの判断から1955年に一旦中止となっている。再び対抗定期戦の機運が盛り上がったのは1959年。その経緯は南山大HPに詳しく書かれている。「1959年9月に東海地方を直撃した伊勢湾台風被害の救助活動に奔走した南山大学学生会の代表は、その年の秋に東京の青山学院大学で開かれた全国キリスト教系大学連盟総会で伊勢湾台風被災の見舞金を受領しました。その場で対面した上智大学学生代表と大学対抗の定期戦開催の話が盛り上がり、それぞれ学生会に持ち帰って対抗戦開催の承認を受け、(中略)南山大学で第1回大会の準備が整えられました」(南山大学「上南戦HP」)そして翌1960年、南山大学において記念すべき第1回の上南戦が開催され、野球・サッカー・卓球・柔道など8競技のほか、文化系クラブの交流が始まった。開催の目的は「同じカトリック系大学として、共通の建学の精神や大学の理念で結ばれている両校が親睦を深め、互いに発展していくこと」であった。親睦が目的で始まった定期戦だけに両大学の柔道部同士の関係も良好で、南山大学柔道部の元OB会長・高下高氏(1973年卒)によると「上南戦で名古屋と東京を1年ごとに行き来する際には、それぞれの学生が相手側の学生を自宅に泊めて歓待した」という。また、80年代になると「毎年、両校合同で夏合宿を行った」(上智大学柔道部OB会長・亀山弘晃氏(1988年卒))と、親密な関係を築き今日に至っている。南山、接戦を制し10連覇達成そして今年の柔道上南戦は7月8日(土)、四方を校舎で囲まれた体育館の地下に位置する武道場で開催された。ルールは体重無差別の点取り戦、国際規定と全日本学生柔道優勝大会の要項を準用し、勝ち数・内容が並んだ場合は引き分け試合の中から抽選で選ばれた代表戦で勝敗を決する。人数はその年の選手数に応じて両校の申し合わせで決められ、今年は5人戦での実施となった。
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