▲整備場にて▶志道館で、笑顔で指導する鬼谷さん▶早慶戦。試合に臨む鬼谷さん(右端)――柔道を始めたのはいつ?「4歳頃ですね。父が、学生時代から柔道をずっとやっていて、当時参加していた高知大学医学部の練習に一緒に連れて行ってもらったときに『やりたい』と。その後、当時高知県で一番強かった和田道場で本格的に柔道を始めました。周りは男の子ばかりでしたけど、楽しくやっていました。試合は勝ったり負けたりでしたが、高学年になってくると体の大きな子が団体戦でレギュラーに選ばれることが多くなってきて、悔しい思いもしました」――中学校は進学校の高知学芸中学に進学しました。「父も姉も高知学芸だったので、漠然と私も行くんだろうなと思って勉強にも取り組んでいました。もちろん柔道もやるつもりでした。当時同級生は女子1人、男子5~6人。中高一貫なので中1から高3までで20人くらいいました。ただ下校時間が早く、練習時間が短かったので、『練習量をどう確保するか』がテーマでした。テスト期間になって学校の練習が休みになると、強豪の香長中学・岡豊高校に出稽古に行っていました。普段から、練習が終わって帰ったら何を勉強する、と目的意識を持って取り組むタイプだったのですが、テスト期間に入ると『朝のうちにこの教科とこの教科を終わらせれば、午後出稽古行けるな』と、出稽古に行くために逆算して勉強のスケジュールを決めていました(笑)。この頃はとにかく勝ちたかったですね。全国大会に出たいと。ただ、今思うと、出ることが目標になっていて、その先を見据えた練習ができていなかった。そのため全国大会では勝ち上がれませんでした。満足していなかったので大学でも続けることにしました」――大学は慶應義塾大学理工学部。「高知学芸の先輩が慶應にいて、よく声をかけてもらっていたのでなじみがありました。慶應は、男子はたくさんいて強かったのですが、女子は少ない。師範の朝飛大先生の道場に行かせてもらったり、やはりいろんな大学に出稽古に行かせてもらいました。大学1年生のとき、初めての早慶戦はとても印象に残っています。日吉キャンパスの道場が両校のOBや関係者で満員。空気が違いました。そのなかで女子の先鋒として出場、緊張しましたね。大学では、柔道の競技以外の価値にも目が向くようになりました。朝飛先生の指導を受け、『柔道を楽しむ』という、始めた頃の感覚を思い出しました。厳しい雰囲気のなかで勝利を追求するのも魅力の一つですが、それだけだともったいない。そもそも柔道自体が奥深く楽しいものなんだなと改めて感じました。中学高校の先輩、坂東真夕子さんの志道館で指導のお手伝いを始めたのも大きかったです。柔道を通じて人間として成長する。教育的な価値にも興味がわきました。大学4年からは全日本男子のチームドクターだった紙谷武先生と一緒に、受身の打ち手の有効性について研究もしました。幅広く柔道と関われたことで、この時期に柔道観が一気に広がりましたね」――就職は大手航空会社の技術職に。「企業訪問をするなかで、一番柔道と共通していると感じたんです。航空機の運航や整備についてそれぞれのエキスパートである社員のみなさんが安全に運航するという同じベクトルに向かって、自分の役割を果たすべく全力を尽くす。柔道の個人戦と団体戦の関係と同じだと思いました。配属されて2年ほどは整備士として勤務し、現在は現場をサポートする立場です。トラブルが発生したときに、なるべく時間をかけずに解決するためのベストな方法を提示するのが主な役割です。時にはマニュアルに載っていないような事象も起こりますから、そうしたときの問い合わせに、迅速に対応して現場の役に立てるとうれしいです」――柔道はどのように役立っている?「まず、ちょっとしたことではへこたれません。どんなに仕事がきつくても絞められるわけでもないし、関節を取られるわけでもない(笑)。胆力もつきましたね。今の仕事は年上の先輩や、現場経験が長い方とも対等に話さないといけません。そんななかで物おじせずに話せるのも柔道で培った力だと思います」――現在は、母校柔道部の女子監督も。「道場に顔を出すのは平均して週に1回程度、あと試合のときですね。柔道強豪校から進学してくる学生もいるので、競技面についてはある程度任しています。むしろ人として成長できるようサポートしてあげたい。試合についても、勝ち負けだけでなく、そこで得たものを次にどう生かすかが大事だと伝えています。学生たちには柔道を通じて成長して、立派な社会人になってほしいという気持ちです」――柔道を頑張っている女子選手たちへ。「私自身、柔道を通じていろいろな人とつながり、思ってもみなかった経験ができました。柔道をやっている人はお互いに信頼感を持っているので、続けることで日本だけでなく世界の柔道仲間とつながることができると思います。試合で勝つことを目標に一生懸命頑張ることはとても大切ですし、たとえ負けてもそこから得られるものはたくさんあるので負けてもいい。その経験は必ず今後の人生のなかで助けてくれます。そして、たまに自分のベストな柔道ができれば、それだけでも柔道は楽しい。そんな柔道の楽しさを味わってほしいと思います」物おじせずに話せるのも柔道で培った力鬼谷奈津子(現姓・近藤) おにだに・なつこ1993年生まれ。高知県高知市出身。4歳のとき、父の影響で柔道を始める。小学校時代は和田道場に所属。私立高知学芸中学3年時に全国中学校柔道大会に出場(48㎏級)。学芸高校でも全国高校選手権、インターハイに出場し、高校3年時には四国大会優勝(すべて52㎏級)。慶應義塾大学理工学部に進学後も體育會柔道部に所属し、全日本学生柔道優勝大会女子3人制に出場するなど活躍。4年時には女子主将を務める。大学院卒業後、日本航空株式会社に入社、現在はJALエンジニアリング整備技術グループにて、現場整備士の技術的なサポートを担当。大学院時代から母校・慶應義塾大学柔道部女子コーチ、現在は監督を務める。PROFILEやわらたちのセカンドキャリアやわらたちのセカンドキャリア〜私たちの選択〜〜私たちの選択〜4歳から柔道を始め、競技に打ち込むなかで、次第に技術の奥深さや人間教育などその幅広い魅力に気づく。現在は、航空会社の技術職として安全な運航に尽力するとともに、慶應義塾大学女子柔道部監督として、後輩たちに柔道の魅力を伝える鬼谷奈津子さんを紹介します。鬼谷奈津子さんが選んだ道 航空会社の技術職FILE.2222まいんど vol.37
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