まいんど vol.35 全日本柔道連盟
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▲現在は、仕事の傍ら名古屋市の『北柔道会』で子どもたちに柔道を指導している佐々木さん(後列左端)▲広島大学柔道部時代。右から3人目が佐々木さん――柔道を始めたきっかけは?「元々父が経験者で、弟に柔道をさせたいと道場に連れていった際に、『私もやりたい』と言って始めました。それまでやっていた水泳や新体操は、同じ動作の繰り返しだったのに対して、柔道は組み合って相手の動きに合わせて、投げたり抑えたりする。そこにひかれました。小学6年生のときに熊本に転校し、当時熊本北警察署内にあった承道館で柔道を続けました。中学校に柔道部はあったのですが、顧問の先生が柔道未経験だったため平日は承道館で練習して土日だけ参加する感じでした。さらに中学2年のときに東京都の狛江市に引っ越し。柔道部がなかったのでダブルダッチ部に所属して、道場で続けました」――都立駒場高校でも柔道を。「中学校までは、柔道は好きだけど専念できていなかったので、もっとやりたいと。ただ両親から『柔道だけにならないように』と言われていたこともあり、駒場高校を選びました。部員は1学年10人くらい。進学校だったので柳澤立児先生の指導のもと短期集中型の練習でした。東京は私立の強豪校が多く、強い選手と組むことができて、うれしかったですね。1学年上の渡名喜風南選手(東京オリンピック48㎏級銀、当時修徳高)や同い年の髙橋瑠衣選手(全日本ジュニア2位、当時修徳高)は、都立高校相手でもきちんと稽古してくれました。力の差だけでなくそういった部分でも『これが全国トップレベルなんだ』と驚きました。目標は関東大会に出場することでしたが、予選前に試合で膵臓を痛めて入院。もう少しやりたかったという思いから大学でも続けることにしました」――大学は広島大学総合科学部へ。「高校時代は、家に帰ってから長い時間勉強するのは難しいと思ったので、やれるときにやるというのを意識していました。電車通学だったので、その時間に集中するとか、課題だけはやるとか。その時点では大学でどんなことを勉強したいか決まってなかったので、猶予期間というか、少しでも幅広く学べるところをと考えました。広島大学は、全国大会で入賞している選手も多く、高校までとはレベルが違いました。稽古も最初は投げられてばかり。夢で見るくらいでした。出口達也先生は、選手の主体性を大事にしてくれて、練習では座って見ていて、気になることがあったら声をかけてくれる感じだったのが良かったです。競技で結果を残すことはできませんでしたが、いろいろ学ぶことができました」――なぜ記者を志望?「大学3年生のとき、足をケガして手術を受けました。治療がうまくいかず、しびれや痛みが残り、リハビリにも入れないまま半年間、松葉杖で生活しました。そのとき医療の裏側、電車に乗ったときの周囲の反応など、社会の不条理を肌で感じました。その経験をきっかけに、さまざまな声に耳を傾け発信することで、暮らしや社会を少しでも良くすることができるのではないかと思うようになり、記者を志望しました」――やりがいを感じているところは?「NHK名古屋放送局に配属となり、3年間県警の担当をし、いまは行政を担当しています。人に会い、いわゆる『ネタ』を取ること。そしてそこからニュースや企画として発信するのが仕事です。やりがいは、『取材次第で見えないものが見えてくる』ことですね。1年以上にわたり取材した国内最大級の児童ポルノサイト摘発事件では、なぜ児童ポルノの売買に手を染めたのか、検挙された「出品者」ひとり一人を訪ね、話を聞きました。取材によって、児童ポルノの巨大な市場が知らない間にできあがり、大勢の大人たちが金儲けのために、罪の意識が希薄なまま子どもの裸に群がり、犯罪に加担している実態が見えてきました。これまで見えなかった実態を伝えることができ、やっている仕事の意義を感じました」――柔道はどのように役立っている?「仕事を始めて『取材と柔道は似ている』と強く感じました。柔道は、立ち技寝技と技もたくさんある上に、相手の体格体型や戦術に応じてどうアプローチするか、いろいろな選択肢がある中から瞬時に判断しないといけない。取材も同じです。相手の性別や年齢、社会的立場、話を聞く場所にタイミング。1回1回異なります。先手を取って質問することもあれば、相手の言葉を待って受け止めて、答えることもある。敬意を持ち信頼関係を築くことが基本ですが、時には厳しい質問もぶつけないといけない。この難しさ、奥深さは、柔道と同じだなあと(笑)。また、柔道を経験していたことで、仕事の大変さも『それはそんなものだろう』と受け止められました。多少うまくいかなくて当たり前。原稿を書くのがすぐに上達しないのも、技を身につけるのにあれだけ時間かかるのだから仕方ない、と自然に思えるのは強みだと思います」――柔道の魅力は?「一番は『奥深さ』ですね。技術の幅が広く、相手によって対応も変わる。どこまでいっても究め尽くすことがない、ひと筋縄でいかない。そういうところが魅力です。柔道をしていたことで『そういう奥深い世界がある』ことが身をもって理解できているというのは、私の糧になっています。いまは警察担当時にお世話になった下崎和彦さんが運営する名古屋市の『北柔道会』で、毎週土曜日子どもたちに柔道を教えています。去年できたばかりの道場ですが、約30人メンバーがいます。これもご縁ですね。以前は柔道をやるベクトルが『自分のため』だったのが、ケガをきっかけに『人のためになれれば』と自然に思うようになりました。柔道に生かされていると思います。感謝しています」柔道の奥深さを知ったことがいまの私の糧に佐々木萌 ささき・めぐみ1996年生まれ。東京都出身。小学3年生のとき、父親の転勤により当時住んでいた高知市の高知県立武道館で柔道を始める。引っ越し先の熊本市、東京都でも柔道を続け、東京都立駒場高校では48㎏級で都大会ベスト8。広島大学総合科学部進学後は、国体や全日本学生体重別団体優勝大会に出場。卒業後はNHK名古屋放送局にて記者として勤務。3年間の警察担当ののち、現在は行政を担当。2021年11月放送の「クローズアップ現代+追跡・SNS性犯罪~ネット上で狙われる子どもたち」など制作。PROFILEやわらたちのセカンドキャリアやわらたちのセカンドキャリア〜私たちの選択〜〜私たちの選択〜大学まで柔道を続け、自身のケガをきっかけに社会問題への関心を強め、報道の世界へ。NHKで記者として活躍する傍ら、町道場の指導者として柔道に携わる、佐々木萌さんを紹介します。佐々木萌さんが選んだ道 NHK記者FILE.2016まいんど vol.35

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