ろで、テレビのニュースや新聞の記事に「谷本引退!」って出て、えっと思いながら。そうですね、だったので私の場合は…。山口 ご自身はやる気だったのに?谷本 まぁでも、出ていたんでしょうね、そういう雰囲気が。ライバルにも失礼だなという気持ちもあったので。結果的に、それはそれで次につながったんですけど。山口 谷本さんは、どうやって前に進もうという時間を過ごしていましたか。谷本 …前に進もうという時間は、もしかしたら、いまも止まっているのかもしれないです。柔道をやめて、その先に見えたもの。何を捨てて何を得たんだろうというのが、まだ整理がついてなくて。山口 えぇ~、なんかすごく衝撃的。でも、同時に励まされる部分がある。私は逆に、その…なにくそじゃないけど、柔道以外のことだってやれるに決まっているでしょって思っていたんです。負けず嫌いじゃないですか私たち(笑)。谷本 負けず嫌いですね(笑)。山口 例えば大学で情報処理とかの授業で、みんながサラサラとタイピングやるのに、タイピングなんてやったことないからできない。その悔しさもそうだし、すべての悔しさがやっぱり柔道と同じで、次は見返そう、来週の授業までにはやっておこうとか思っていたんですよ。だから最初は、そういう悔しさの繰り返しだったから、大学ってもっとハッピーなものだと思っていたんですけど、私にとってはすごくつらくて。でも、何かまだ見ていないものが見たいという精神でやっているから、自分はこれしかできないとかは、起業したあともあまり思ってなくて、まだ見ぬ自分に会いに行ったほうがいいかなと思いながらやっているんですよね、経営とかデザインも。谷本 「まだ見ぬ自分に会いに行こう」って、すごい、刺さりますね。私にはそんな選択肢はなかったので、すごいなと思う。どうです? まだ見ぬ私へ、一歩踏み出してから見えた世界というのは?山口 でもそこも、やっぱりモヤモヤ期は大学4年生のときも、それこそ大学院に行ってもずっと続いていて。でも、自分のなかではやっぱり現場に行かないと見えない肌感覚があるんじゃないかなと思っていたんですね、ずっと。だからぼんやりと学校を変えたいな、学校が足りないのは途上国かな、途上国だったらアジアかアフリカかな、国際援助かな、みたいな感じで、自分のなかでつながってはいったけど、なんとなく表層の話をしているような感じがして、だから途上国に行ってみたら、どう自分が感じるのか。私に何が必要とされているのかと考えるなかで、例えばコンビニの募金箱のお金も、本当にちゃんと使われているのかとか、そういった疑問をモヤモヤさせないように生きたいなと。自分の生きる道として、自分の目で見たものを信じたいというところが強かったんですね。で、それがわかるんだったら就職するより大事じゃないのかという気持ちがあって、それで大学卒業した1か月後に、向こう(バングラデシュ)で一人暮らしするんだと、2年間行ったんですよね。それはでも、本当に怖かった。谷本 やっぱり怖かったんですね。山口 はい。親が言うように、そんな国で生きていけるの? みたいなこともあって、言葉も含めて全然わからなかったので怖くて泣いていました。谷本 出発前に?山口 そうそう。だからなんで泣きながら行くのって思うんだけど、その先に何かあるはずだし、見つけてから帰ろうと思っていたんですよね。谷本 見つかりました?山口 見つかったのは行って1年2か月くらい後でしたね。けっこうネガティブなことが山ほどあって、賄賂とか汚職とか、全部ワースト1で、この国自体が嫌いになりそうな状態だったんですけど、やっぱり一方でちゃんと働いている人もいるし、ちゃんとした素材とかもあるので、それが使われていない状態で、「貧しいんだから貧しいものを作っておけ」と言われているのって悔しいなって。やっぱりそこでも悔しいという気持ちが働いて、本当はもっと作れるのに、チャンスがないだけなんじゃないかなと。でも、誰かが信じないと始まらないじゃないですか、そこで何かをやってみたいと思ったのがきっかけです。谷本 誰かが信じなきゃ、本当にそうですよね。山口さんは、本当に、感情でいろんなものと向き合っているんですね。山口 逆に谷本さんは違いますか?谷本 私はこう見えて、自分をさらけ出すのが苦手で。わりとニコニコしているだけだったのかなと。いま、お話をうかがっていて、山口さんがなにかに向かっていくとき、覚悟を決めて進むときに、涙があったじゃないですか、やっぱりそういうふうに自分の感情と向き合うことってすごく大切だなと。私はどちらかというと、感情を抑えてきたんですよ。柔道ってそうですよね?山口 確かにそう。骨が折れていてもクールな顔してないといけないとか。谷本 そうなんです。きつくても顔には出すな、相手にバレるぞと言われて。一生懸命、きつい顔をしないようにやってきたこともあって。いま、フッと思ったのが、いままで私は感情を出していたのかということ。もしかしたら自分のやりたいことをやりたいって言えなかったりとか、自分ってどうなんだろうって。山口 周りからの期待がありますもんね。谷本 いやそんなことないですけど。ずっと指導してもらっていた古賀稔彦先生に、最初に出会ったときに、「自問自答しろ」たにもと・あゆみ1981年8月4日生まれ。愛知県安城市出身。桜丘高校高校→筑波大学→コマツ。弘前大学大学院(医学博士)小学3年生のときに、地元の安城柔道クラブで柔道をはじめ、中学に柔道部がなかったため陸上部に所属し、大石道場に通う。高校は地元の桜丘高校に進み、高校2年のときに全国高校選手権3位、全日本ジュニア選手権で3位。筑波大2年(2001年)からコマツ所属の2008年まで日本代表として世界大会に8年連続出場。世界選手権は2001年ミュンヘン大会3位、2005年カイロ大会2位、2007年リオデジャネイロ大会3位。オリンピックは2004年アテネ、2008年北京の両大会で、オール一本勝ちで金メダルに輝いている。2010年8月に現役を引退。現在、全日本柔道連盟評議員、2児の母。谷本歩実6まいんど vol.33
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