講道館7階の大道場で行われた対談。初対面ながら、同い年ということもあり打ち解けた雰囲気のトークとなったいる感じがして。だったら、この全階級揃っている「埼玉栄」のところに、別の学校名が入ったほうがカッコいいかなと思ったんですよね。谷本 もうそのときから、芽生えているわけですね、逆境に立ち向かう精神みたいなものが(笑)。山口 で、ふと男子の記録を見てみたら、埼玉栄の上に大宮工業があったから、どんな練習をして、埼玉栄に勝っているのかなということに興味を持って。それで練習に行かせてもらったんです。そしたら大宮工業の監督が、女子部はないから難しいよって最初に言われたんだけど、中3なりに交渉して入ることになって。谷本 熱意が伝わったということですね。中学生で高校の男子柔道部に練習に行くって、それだけでもすごいことですよね。48㎏級のかわいい女の子が…。山口 いやぁ、怖かったあのときは(笑)。だから最初から私は、そういう男子の伝統に、その50年連続優勝とかしている大宮工業に対して、「その伝統を汚すなよ」的なオーラをいつも感じていて。で、あるとき2位に落ちちゃったら保護者の方がチラッと「やっぱり女子が入って士気が乱れた」みたいなことを言ったのを聞いて、ああなんかイヤだなぁとか思いながら、高校1、2年生のときにケガもしちゃったので、あっという間に引退の時期になっちゃったんですよね。谷本 練習では自分より大きくて強い男子とやっているわけですしね…。山口 そうなんですよ。谷本さんはケガってしました?谷本 しましたしました、靭帯も切っていますし。山口 高校のときから?谷本 いや、高校のときは楽しくやっていたので、大きなケガはなかったです。山口 でも高校のときにはもう全国で…。谷本 高校選手権、ジュニアで3位になるくらいだったので、全然。山口 その頃から、オリンピックは?谷本 いやいや全然です。大学に入るまではオリンピックなんて頭にもなく。ずっと「楽しい」の延長でしたので。大学に入って初めて、うわ、これが競技柔道かと。山口 えぇ、大学生で?谷本 そうです。だから高校のときは楽しい柔道しか知らなくて、いま山口さんの話を聞いていて、すごいなって。山口 いやいやいや、そうだったんだ。逆に私は高校での柔道しか知らないので、こんなに大変なんだとか、なんかその理不尽な掟みたいなものがあるでしょ? それのつらさとかになんか浸ってしまって、だから、ジュニアの大会が終わった後に、「ああ、もういっぱい頑張ったよ」みたいな感じで、泣けてきちゃったんですよ。ある意味、燃え尽きちゃったんだと思う。だから、負けたんだけど、最後の試合はわりとスカッとした気持ちでした。谷本 そうだったんですね。山口 でも進路に関しては、ノープランで、周りの先輩たちが消防とか警察とかにいたり、柔道を使った進路に行くという伝統的な考えはあったんですけど…。私は何か自分に可能性があるんじゃないかと思って、「私は受験したいです」って監督に言いに行ったんですよ。そしたら、「バカかぁ?」みたいなことを最初に言われて。「柔道がなくなったら何もないじゃないか」って。やっぱりみなさんもそうかもしれないけど、夢中になって柔道だけをやってきたので、たしかに真っ白にはなっちゃったんですね。そのときに自分自身って、何が軸で今まで生きてきたのかなと。私は日記を書くのがすごく好きで、けっこう内省する時間があったので、私、学問って全然やったことないけど、どういう世界なのかなと思ったし、もし楽しい学校を作りたいという夢があった場合は、そういう分野に一回浸ってみて考えてみたいというのもあったんですね。それでとりあえず早稲田と慶應を受けてみようと、それが高3のとき。その難しさを知らずに、言っていたんですよ。谷本 私からしたら、学校をもし作るならという壮大な発想自体がすごいと思っちゃうんですけど…。道衣を脱ぐときってどんな気持ちでした? もう今後一切着ないという気持ちだったのか…。山口 絶対に着ないと思っていました。谷本 そうだったんですか、そんなに覚悟を決めて…。山口 そこの退路を断たないと次が見えてこない気がしたんですよね。でも、支えになってきたものがなくなって、大学1年生のときは真っ白でした、けっこうな時間。あぁ、私は本当に柔道と畳しか知らないんだなというのを思い知らされて…。だから、友だちが全然できなくて、いつも図書館にいました(笑)。何もない自分との直面。自分自身と向き合う時間谷本 そういう時間を過ごして、新しい道に進むことができたわけですね。山口 そうなんですよ、だから、何もない自分との直面というのがあったんですけど。みなさんはどうなんですかね?谷本 アスリートは、その空白の時間というんですかね、自分自身と向き合う時間を、みんな経験すると思います。山口 そうですか、谷本さんは?谷本 私は引退までに、2年くらいかかったんですけど、次が決まらないと進めないという気持ちがあって…。山口 それはいつ頃ですか?谷本 2008年の北京オリンピックで引退を考えていたんですけど、引退を決意する前に、前十字靭帯を切ってしまったので、そこがちょうど、自分と向き合う時間になって。そこから手術してリハビリして2年目、さあ試合に申し込もうかと思ったとこまだ見ぬ自分に会いに行く。一歩踏み出して見えた世界は…5まいんど vol.33
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