巻頭特集緊急座談会大迫明伸・審判委員長試合というカテゴリーが主流で、試合を目標にしないで、柔道ができる環境が少ない。これは小学校に限りません。そこを作っていくべきなのではないかと思います。 先日、柔道の研究をされている追手門学院大学の有山篤利先生とお話していて「なるほど」と思ったことがあります。柔道は武道であったため戦後GHQに禁止された。そのため柔道を再開するためにGHQに対してスポーツの側面を強調した訳です。それで何十年もかけてここまで来たところで、「じゃあ柔道はスポーツなの? 武道なの? 体育なの?」という問いに対してまったく総括されていないというのです。そのなかで「何が本質なのか? 何が大切なのか?」と問われると、ある場面では競技性、ある場面では武道性、またあるときは体育としての有用性となり、誰もきちんと説明できていない。そこを柔道界として、「小学校時代はこう、中学時代はこう、高校時代ならこう。社会 人一歩手前の大学生ならこう」というように年代においていくつかのカテゴリーを提示できて、選択ができるようにすることが必要ではないかと思います。これまでは柔道を続けてもらうことを重要視してきましたが、これからは、比較的容易に柔道を始めたり、一時離れても再開しやすいような、 型にとらわれない柔道にすることが求められる気がします。そのうちの一つが「強化」ということだという考え方です。小学生の大会の形式を変更するということは、一度冷静に振り返るいい機会になるのではないかと考えます。そしてこれからどういう道を歩いていくのかということを落ち着いて見ていく。では試合をやめることでどうして落ち着くのかと言えば、それは勝敗、特に勝利ということから一定の距離を置くということが必要だと考えるからです。自戒の念も込めてですが、勝利というものは甘美といいますか、誰もが熱くなれる、熱中しやすい傾向があります。それはすごいエネルギーとなって青少年の成長に有益なこともあれば、他のことを顧みなくなって人をあらぬ方向に導いてしまうこともある。だから、今は一度立ち止まって考えてみる時期なのではないかと感じています。中里 陸上競技連盟では競技者育成指針というものを作っています。これが非常によくできています。縦軸に生涯スポーツとして幼少期から高齢者まで段階を踏んでどうなっていくのかを示し、同時にトップオブトップのハイパフォーマンス層、これとレクリエーション層、ウエルネス層と言われているところ、そしてその中間層があるわけです。柔道の場合はハイパフォーマンス層とそれを支える中間層しかない。中間層の下がないのに中間層というのもおかしいですが、「健康のために」とか「楽しむために」という部分がほぼ欠落している。ですので、そこをぜひ作りたいと思っています。大迫 柔道の場合は、強化でやっている柔道も大学や高校、中学でやっている柔道も年齢が違うだけでやっている柔道の内容は同じだと思います。対して、例えば陸上のマラソンなんかを考えると、まずトップのマラソンランナーがいる。しかしそれだけではなく一般のジョギング愛好家がたくさんいて、みんながマラソンファンなんですよね。そうした人たちは地域の「○○走ろう会」というようなサークルに入って楽しみながら走る。そういう部分がいまの柔道にはないですよね。中里 登録者は現在12万人ですが有段者は200万人もいます。もちろん亡くなられた方もいるのですが、仮に100万人、以前に柔道をやっていて今はやっていないという人がいたとして、そういう人たちに何も提供できていない。そこに問題があるのかな、と考えます。新たに柔道をやる人を増やすということも大事なんですが、昔柔道をやっていた人に楽しく健康のために続けてもらうというのも大事だと、最近思っています。田中 柔道の魅力は、勝ってチャンピオンになるということももちろんありますが、そうでないところもたくさんあるはず。年配になっても柔道で人を投げてみたいという思いも一つだと思います。 また柔道の受身。これも柔道の良さで、転び方を通して受身体験をどんどん広げて、柔道の良さを広げようとしている県もあります。お年寄りなどは転んで骨折してしまうと、そのまま寝た切りになり認知症になってしまう怖れもありますが、それを、受身を通して予防する。これらは一例ですがそうした柔道の良さをどんどん発信していく必要はあると思います。そのためにも小学生学年別を勝つことだけに特化するので小学生の大会の形式を変更することは、一度冷静に振り返るいい機会になるのでは
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