▲現在は、高校生をサポートする仕事に就く妻由さん▲高校時代は全国大会に4回出場▲小学生時代の妻由さん――柔道を始めたきっかけは?「父が監督で、1つ上の姉も柔道を始めていたので、何かスポーツクラブを選択するとなったときに自然と柔道を選びました。小学生の頃は団体戦のメンバーに選ばれるほど強くもなく、それほど楽しさも感じていなかったと思います。父は指導者でしたが負けても怒ることもなく、見守ってくれていました。転機は中1の秋でした。1つ上の先輩が退部して、自分が団体戦のメンバーになってしまった。『弱いままだとチームに迷惑をかけてしまう』という責任感から一生懸命練習するようになって、そのひと冬でかなり強くなりました。技がかかるようになるとおもしろく、のめり込みました。中学の部活には専門の先生がいなかったので走り込みや基礎練習を重視して、夜練では、外部コーチに教わりながら練習していました。あえて軍手をして握りにくくした状態で練習したり、飽きさせないよういろいろと工夫してくださって、楽しみながら柔道に打ち込むことができ、基礎体力もついたと思います」――高校は進学校でした。「部員が少なくて、高校入学時は、女子は1つ上に姉、男子が2人だけだったので、稽古相手が非常に限られていました。だけど『環境のせいで弱くなった』と言われるのが嫌だったので、自分で練習メニューを決めて取り組んでいました。朝練をして、昼は筋トレ、部活が終わってから夜また走って…他校との合同練習もフルに活用しました。その結果、個人戦で4回全国大会に出て、最後は1勝することもできました。勉強との両立に加えて、減量もあったので、正直しんどかったです。ただ、誰かに『やれ』と言われた訳ではなく、しんどかったら辞めることができるなかで、自分が決めたことをやりきった経験は、その後に生きていると思います」――大学では体育会ではなく、準体育会、いわゆる「サークル」で柔道を?「最初は大学では柔道をするつもりはありませんでした。性格的に、体育会でやる以上、学生生活が柔道だけになってしまう、他のこともやってみたいと思っていました。ところが入学式のあと、いろいろなサークルに勧誘のビラを渡されたなかに、理工柔道部のものがあって『柔道にもサークルがあるんだ』と気づいて。受験でしばらくやっていなかったので純粋に「柔道をやりたい」という気持ちが湧いてきて、4月にはもう練習に参加していました。練習は普段は週2回で、大会が近くなると3回、男子には強い選手もいました。もっとも、しばらくは体育会を選択しなかったことに対して、モヤモヤした気持ちがありました。それが解消したのは、7月に最大の目標である「九大学対抗戦」(早慶、明治、中央など9つの大学の準体育会による対抗戦。年2回開催され、50年近い歴史を持つ)で、早稲田が悲願の初優勝を果たしたのを見てからでした。体育会とかサークルとか関係ない、どんなところでも一生懸命やることが大事なんだと気づき、自分はここで柔道と向き合っていこうという意志が固まりました。 理工柔道部では、監督の古田英毅さんが指導する新宿区柔道会で、小学生への指導のお手伝いもし、柔道を楽しむ子どもたちから、私自身も学ばせてもらいました。高校までは『勝ち続けないといけない』という思いから柔道が義務になっていた部分があったのですが、大学ではそこから解放され、『柔道って楽しい、自分は柔道が好きなんだ』と改めて思うようになりました」――卒業後、どんなお仕事を?「大学では教育学を専攻していて、教育に携わりたかった。ベネッセでは中学生対象の数学の学習教材を開発する部署を希望し、9年ほど中学生向けのサービスに携わりました。高校のとき、受験で塾に行くため部活を途中で辞めた友だちがいて、『部活は今しかできないのにもったいない、家庭で学習できれば両立できるのに』と思ったのが原点です。私自身も部活と勉強の両立は大変だったので、頑張っている中学生のサポートがしたいという思いでした。現在は教育現場で使うデジタルサービスの担当をしています。より多くの人に届けられるサービスにかかわっていることに、やりがいを感じています」――柔道で学び、役立ったことは?「2つありまして、1つは先程お話した『自分が決めたことはやり遂げる』ことです。やり遂げた経験が自信になり、支えてくれています。もう1つは『自分で考えて判断する』こと。一番それが現れるのは試合の場面ですよね。畳の上では自分一人。刻一刻と状況が変わるなかで、瞬時に判断をくださないといけない。そして、その判断と行動に対して責任を負わないといけない。柔道は練習でも試合でも、つねに自分との対話を重ねていくことが魅力だと思います。柔道について、自分と対話するのは好きでした。中学生の頃、夏休みに作文の宿題が出て、『なぜ勝ちたいのか』というテーマで、原稿用紙で何枚も書いたことを覚えています。結論がどうなったのか、今となっては忘れちゃいましたけど」――大学卒業後、柔道とのかかわりは?「残念ながら今は全然かかわれていません。でも、柔道は今も大好きで、以前、レストランで、国際合宿のために来日していたテディ・リネール選手を見かけたときは、お願いして写真を撮ってもらいました。久しぶりに柔道衣を着て、子どもたちと練習したいですね」自分が決めたことはやり遂げる。自分で考えて判断する。つまゆ・まい1988年生まれ。鳥取県出身。小学4年生のとき、大栄柔道育成会で柔道を始める。大栄中学校では、中学2年時に全国中学校柔道大会個人戦に出場、団体戦も2年連続で出場。倉吉東高校では、全国高校選手権、インターハイ個人52kg級に2年連続出場。早稲田大学第一文学部に進学後、早稲田大学理工柔道部・柔道会に所属。2010年株式会社ベネッセコーポレーションに入社、現在は、学校教育現場で使うデジタルサービスの企画・開発に携わる。PROFILEやわらたちのセカンドキャリア〜私たちの選択〜部活動を頑張っている中学生が、勉強と両立出来るようにサポートしたい。自身の中学高校時代の経験から、家庭学習用の教材や学校教育で使うデジタルサービスの企画・開発に取り組む妻由舞さんを紹介します。妻由舞さんが選んだ道中学生・高校生向け学習サービスの企画・開発FILE.1720まいんど vol.32
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