まいんど vol.29 全日本柔道連盟.
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だと思います。なぜなら、「道」は数千年間を通じて人間とともに発展し、人間を助けてその生活の領域を拡大させ、他の民族の生活領域と連絡する役割を果たしてきたからです。2007年の世界柔道選手権大会観戦ツアーにおいても、観戦終了後、リオデジャネイロ市内の「道」を利用して市内を観光しましたが、そもそも「観光」という言葉は、中国の儒教の経典『易経』にある『觀國之光利用賓于王』〔国の光を観(み)る もって王に賓(ひん)たるに利(よろ)し〕からきています。これは、その土地の自然や文化、風俗、暮らしなどの「光」をよく「観」て、その「光」が統治する国の王に賓客(ブレイン)として重用されるのが好ましいという意味です。よって、今日われわれ庶民が観光の旅に出かける際にも、「観光」本来の意味に鑑み、訪問地での滞在時間を十分にとって、その土地の自然や伝統・文化に触れ、なにか新しい気付きや感動を体験すべきなのです。このツアーではリオデジャネイロ(ポルトガル語で「1月の川」)の由来となったグアナバラ湾や市の象徴であるコルコバードのキリスト像も観光見学しましたが、特筆すべきはブラジルに移住された「日本最後の侍 小野田寛郎」についての私の講座が好評だったことです。小野田寛郎さんが降伏した3月10日は私の誕生日でもあり、私は小野田寛郎さんこそ柔道をはじめとする日本武道の精神を貫いた人であると語ったのです。北村薫作『空飛ぶ馬』という小説には「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私はこの「小説」を「旅」に置き換えると、旅行も同様かと思います。「人はなぜ旅に出るのか」と問われれば、私は「人生がただ一度であることに対する抗議」と答えたいと思います。すなわち、人生は一度限りの一方通行の「道」ですから、無限の可能性のなかから1つしか選べず、生まれた土地で一生を過ごすことも一つの選択ですが、やはり別の土地で生きる自分の姿を思い描いてみたいと旅に出るのです。よって、私にとって旅に出る行為は、単なる仕事ではなく、人生がただ一度しかないことへの挑戦であり、小野田寛郎さんのように異郷の地でその土地の人と交流し、見聞・観察しながら新たな気付きと感動を見出す創作活動で、この活動から新たな旅の「道」を模索しているのです。そこで、柔道観戦ツアーにおいては、開催地の伝統・文化に触れるだけでなく、柔道選手が発する「光」も感じてほしいと思います。その「光」は選手が柔道に賭けてきた「道」を示しており、観戦する私たちに「共感」を呼び起こしてくれます。言い換えれば、自分の生きてきた「道」と選手の柔道に対する「生き様」とが織りなす新しい「物語」が創造されるのです。私は令和の時代は、ゆとりがあって「ときめき」を感じることのできる「共感」の旅をすべきだと考えます。それは「旅行+知恵=人生のときめき」をテーマとした「心のときめき」を感じる旅の「道」です。私はリオの世界柔道選手権大会を観戦した際、選手が勝敗に関係なく、試合終了後に背筋を伸ばし、胸を張りつつ礼をする姿に感銘を受け、同時に「ワクワク感」を覚えました。これこそ「心のときめき」を感じる旅で、良き「想い出」として記憶に残るだけでなく、この体験は私を豊かな人生に導いてくれました。すなわち、旅行から人生が変わり、旅行の質が人生を決めるという、旅の道が柔の道に繋がったのです。「人より長く旅した人間は、最後に誰にも負けない力を手にする」という旅の道は柔の道にも通じると感じました。▼ツアー中の講座の様子(縄文人からのメッセージ)柔道観戦ツアーにおいては、開催地の伝統・文化に触れるだけでなく、柔道選手が発する「光」も感じてほしい39まいんど vol.29

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