◀ブータンのペルキル学校では、『平和のための柔道』『世界のための柔道』の哲学を広める活動を行った◀オーストリアは山々など自然豊かな国。子どもの頃からスキーなども楽しんでいる▶ヘリコプターや小型旅客機のパイロットの資格を持つサブリナさん。将来は宇宙飛行士になるという目標もオリンピックで柔道のキャリアを終えたいという、ほぼ不可能であろう小さな目標がありました。私は東京オリンピック出場資格獲得に向けて真剣に準備を始めました。途中、それまでに経験したことのないかなりひどいケガを負いながらも目標を追い続け、短い期間に大陸枠でのランキング上位に入り、東京オリンピック出場をつかみ取ることができました」――先日の東京オリンピック、サブリナさんの最後の試合を終えて試合場の畳を離れたときの日本武道館の雰囲気がとても印象的でした。試合を終えたそのときの感情はどのようなものでしたか?「正直なところ、1試合目で負けてしまったことに気づいた最初の数十秒間は、何も考えることができませんでした。できるだけ多く勝ち進むためにここまで来たのに。そして、今度こそオリンピックのメダルを獲得する最後のチャンスと考えていたのに。 でも現実に戻ってみると、私が受けた衝撃は大変なものでした。私は屈辱感で一杯でした。突然、相手選手の表情が目にとまりました。私がよく知っている選手です。 その後、会場からの拍手が鳴りやみませんでした。私は礼をしてコーチ席にいたイボンヌ・ベニッシュ コーチ(アテネオリンピック57㎏級金メダリスト)を見ました。彼女の眼には私に対する尊敬の念が浮かんでいました。 私はなんとかしてこれまでに経験したなかで最も伝統のある会場で戦うという大きい夢と目標を終えるにあたり、この最高の場所に『さようなら』を言いたくなりました。だから畳にキスをしたのです。ここは私にとっては聖地なのです。 世界中のすべてのアスリートとコーチ、そして国際柔道連盟と全日本柔道連盟の仲間たちからも、あれほど認められ、あれほど敬意に満ちた言葉をいただき、まったく言葉を失いました。そのときのことをうまく表現できる言葉はありません」――日本の柔道選手では考えられませんが、柔道の他にパイロットの免許を取得しようとしたとき、どのようなことに挑戦すると決めましたか?「2004年、24歳で首のケガをした後、柔道以外のさまざまな選択肢を考えました。私は機械工学を専攻する高校を卒業していたので、いつの日かパイロットになるという夢を常に持っていました。だから私はケガのリハビリの期間、毎日パイロットスクールに通い、それは競技復帰するまで続きました」――国際柔道連盟のアスリート委員会で委員長を務めていますが、そこでの活動を教えてください。「オーストリアは山々の自然豊かな国なので、世界中の最高峰に登ることに夢中になりました。ヒマラヤでの登山やサイクリングといったことに挑戦している間、私はその土地で活動している柔道コミュニティを支援してきました。 カトマンズの孤児院に行ったとき、遠隔地の村であっても柔道が習えるように学校の授業に組み込む働きかけをすべきだと気づきました。また、ブータンのペルキル学校を支援し、『平和のための柔道』と『世界のための柔道』の哲学を広めるチャンスも得ることができました。 世界中のアスリートのためになる解決策を見つけ、彼らのために話し、彼らのために努力することが可能であるはずだと認識した後、私は国際柔道連盟のアスリート委員会が非常に役立つと思いました。アスリート委員会のメンバーは常に耳を傾け、進歩の発展に取り組んできました。私がアスリート委員会の委員長に選出された後、世界で最も経験豊富なメンバーたちがこの委員会とアスリートのために努力していることにとても信頼をしています」――次のステージに向けた計画は何ですか?「現在、標高4000m近くのサーエドマンドヒラリースクールでの開発プロジェクト『エベレスト柔道』の支援をすることと、ヘリコプターの商業用免許を取得するための勉強でバランスを取ろうとしています。これらだけでも十分に挑戦的ですが、さらに私は宇宙飛行士になりたいという目標もあります。ただし、この目標は達成するまでは長い道のりであり、26000人近くが応募している狭き門となっています。――柔道をやっている日本の少年少女にメッセージをお願いします!「喜んで! というのは、私は現在国際柔道連盟の気候アンバサダー(注1)でもあるので、この機会に日本のみなさんに私の考えを共有できることを光栄に思います。 柔道家として、私たちは夢のために柔道で努力する方法を知っています。月を越えて、最も明るい星よりも遠くを目指します。私たちはみな、この地球上で私たちのか弱い環境のために戦う義務があります。この地球という名の宇宙船には乗客はいません。私たち全員が乗組員なのです。私たちは常に地球のため、そしてお互いのためにサポートをしなければなりません。畳の上であれ、畳の外であれ」サブリナ・フィルツモザー[Sabrina Filzmoser]1980年6月12日生まれ。オーストリア・ヴェルス出身。主な戦績は2005年カイロ世界選手権大会第3位、2008年ヨーロッパ選手権大会優勝、2010年東京世界選手権大会3位など(57㎏級)。PROFILE注1:国際柔道連盟が「BE A CLIMATE CHAMPION」という14歳未満を主な対象とした、子どもたちに気候変動について学んでもらい、地球環境にやさしい行動を選択できるようになってもらおう、という趣旨のキャンペーンを展開しています。サブリナさんは2020年にブラジルのフラビオ・カント氏とともに本キャンペーンのアンバサダーに就任されました。詳しい活動については国際柔道連盟のホームページをご参照ください。35まいんど vol.29
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