サブリナ・フィルツモザーさんインタビュー 先の東京オリンピック柔道競技に、最年長選手(41歳)として出場したサブリナ・フィルツモザーさん。これまでオリンピックに4回出場し、東京オリンピックをもって引退することとなりました。現在は国際柔道連盟の理事、アスリート委員会委員長、そして気候アンバサダーとして活動をしているとともに、柔道以外でも幅広い分野にて活躍をしているサブリナさん。彼女の柔道観やさまざまなチャレンジについてうかがいました。――柔道は何歳から始め、なぜ柔道を選んだのですか?「私は幼少期、体操、陸上競技、スキー、スノーボード、ハイキングまで、さまざまな種類のスポーツをしていました。ある日、柔道を体験する機会があり、学校の友だちと一緒にやってみたいと思いました。8歳のときのことで、すべてが楽しいものでした。私は柔道がいかに挑戦的で、正確な技を学ぶのにどれだけ練習が必要かを知ったとき、柔道を続ける決意をしました」――これまでの柔道を通した経験から何を学びましたか?「今までに、多くの出来事がありましたが、最初から、私が柔道から得たものは友情、規律、謙虚さ、尊敬、そして勇気でした」――4回のオリンピック出場はあなたの柔道キャリアにおいて、またあなたの人生において、どのような意味がありましたか?「すべてまったく異なる経験です。それぞれのオリンピックごとに課題がありました。出場できたかもしれない最初の2つのオリンピックには出られませんでした。私が20歳のときにあったシドニーオリンピック(2000年)は、まだ若く経験も浅いため、出場を逃しました。ただそのとき、オリンピックにトレーニングパートナーとして参加することができました。次のアテネオリンピック(2004年)は、首のケガのために出場できませんでした。この大会ではチームメイトのクラウディア・ハイル選手(63㎏級)が銀メダルを獲得し、チームの一員として一緒に祝うことができました。オリンピック初出場となった、北京オリンピック(2008年)は最も苦い経験となり、涙を流した大会でした。当時の私はヨーロッパチャンピオン、そして世界ランク1位としてオリンピックの試合場に立ちましたが、北朝鮮の選手に負けてしまいました。 2回目の出場となる、ロンドンオリンピック(2012年)では第7位になりましたが、大学を卒業したかったし、飛行機のパイロットの免許も取得したかったので、この時点でこれがオリンピックでメダルを獲得する最後のチャンスになるだろうと思っていました。ところが、2016年のリオの出場権を得ることができ、3回目の出場となりました。その後は、学業、パイロットの免許取得のほか、ネパールとブータンでの開発プロジェクトに力を注ぐことになりました。 でも私には当初より柔道の故郷である日本での▲7月17日にオンラインで行われたキャリアアップセミナーの様子▼▶最後の試合のあと、日本武道館の畳にキスをし「さようなる」を告げたサブリナさん。会場で見ていた関係者たちから大きな拍手が送られた女子柔道キャリアアップセミナー開催報告 今回で8回目となる女子柔道キャリアアップセミナーを7月17日(土)に開催いたしました。昨年度に続きオンライン形式で、全国17大学から約300名の方々にご参加いただきました。 はじめに指導者資格について木村委員長から、審判員資格については松田委員長からご説明いただきました。 「先輩からのメッセージ」では、山口奈美さんからは少年柔道の指導者としての活動、国内外での審判活動について、また国内では初となる女性の県柔道協会理事長を務められたお話など、興味深い講話を、また、福見友子さんには学生時代のエピソードや、コーチとしての楽しさ、やりがいについて語っていただきました。 各講師からの学生へのメッセージは、参加者のこれからの柔道との関わりに深く影響してくるのではないかと感じました。 今回もオンラインを活用し、全国から多くの学生に参加していただくことができました。■開催日時2021年7月17日(土)15:00~16:45■資格説明木村昌彦(指導者養成委員会委員長)松田基子(Sライセンス審判員/女子柔道振興委員会委員長)■先輩からのメッセージ山口奈美(愛媛県新田高等学校職員/女子柔道振興委員会委員)福見友子(JR東日本女子柔道部ヘッドコーチ/全日本女子強化コーチ)やわら通信〜全国のやわら情報をお届けします〜このページでは女子柔道に関する情報を募集しております。小さな情報でもかまいません。P50の応募先にお寄せください。お待ちしております。34まいんど vol.29
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