全日本柔道連盟の推薦を受け、2016年より東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会において柔道スポーツマネージャーの役職を拝命いたしました。国を挙げて取り組むこの世界一のメガイベントの運営が私に務まるのかどうか、私が受けてよかったのかどうかについて、働き始めた当初から、そして大会を終えたいま現在も変わらず、葛藤の日々となりました。また通常の柔道大会の運営と異なり、オリンピックは33競技、パラリンピックは22競技が限られた期間に一斉に開催されることから、運輸、食事、宿泊、警備、会場整備、医療など52の部門に分かれた体制となっており、一律横並びでの準備やサービス等の提供体制がとられていました。しかしながら、屋内競技と屋外競技、また団体競技や個人競技でも諸々の条件が大きく異なり、一定のルールのもと当てはめられている大会運営をいかに柔道に沿ったものに調整していくかに苦慮し続けた毎日であったように思います。 そして何よりもコロナウイルスのまん延状況により大会が1年延期され、新たに細微にわたるまでのコロナ対策が必須となり、その準備や対応が大きくのしかかってきました。一番苦労したことは、組織としてやるべき物事が決まらず、流動的な状況が最後まで続いたことではなかったかと思います。加えて世論のオリンピック、パラリンピックへの逆風が強まり、組織委員会が入るオフィスビルの前ではデモ隊の抗議活動が毎週行われるなど、厳しい状況が続きました。 しかしながら、所属の監督や強化委員会副委員長として、選手たちが命をかけて、人生をかけて取り組んできた姿を間近で見てきた者の一人として、どのような形であっても選手たちの夢の舞台が消滅することがないよう、大会の実施に向けて全力で取り組んでまいりました。 そうして4年+1年を経て、ようやく迎えることができたオリンピックは8日間、そしてパラリンピックは3日間と、残念ながら無観客ではあったものの、57年ぶりにオリンピック柔道の聖地である日本武道館において、再び柔道の持つ魅力を余すことなく世界中に発信することができたように思います。選手たちの魂のこもった戦いぶりと試合後の真摯なコメントが多くの国民の心に響き、改めてスポーツ、そして柔道の持つ素晴らしさを体現してくれたものと思います。 こうして上述のように厳しい条件下ではありましたが、大会を無事に終えることができたのも、全面的にご支援いただいた全日本柔道連盟、国際柔道連盟のみなさまのお陰であることは言うまでもありません。とくに全日本柔道連盟には多くの優秀な職員の方々を組織委員会に派遣いただき、当日もNTOやボランティアとして大会運営の根幹を担っていただいたことで、今回の結果につながったものと心より感謝しております。 そして、何よりも両大会に向けてさまざまな課題に寝食を忘れて取り組んでくれた柔道チームの仲間たちがいたからこそ、滞りなく大会を運営することができました。多くの者が組織委員会の業務以外にも対応すべき役割を持っており、削るとすればそれぞれのプライベートの時間を削るしかないなか、文句ひとつ言わず、ともに大会成功という目標に向かって尽力してくれました。私は当初より、たいしたことは一切しておりませんが、ともに集ってくれたメンバーがすべてを準備し、カバーしてくれましたこと、本当に感謝しかありません。 最後になりますが、一生に一度、巡りあわせに恵まれるかどうかのオリンピック・パラリンピックの自国開催に携わる機会をいただきましたこと、本当にありがとうございました。今回培った素晴らしい経験を、今後の柔道界発展のために少しでも還元していければと思います。 柔道競技オリンピック史上最多のメダル数を獲得した日本チームに、まずは称賛の拍手を送り、強化委員の一人として、多くの関係いただいたみなさまに感謝の意を伝えたい。 今回の東京2020オリンピックは、山下泰裕会長の配慮によりIJFゲストとして参加させていただいた。1984年のロサンゼルス大会以降、選手、コーチ、あるいは役員として現場でオリンピックに関わってきたが、やはり東京大会は格別な雰囲気があった。それは、新型コロナの影響や無観客だったからではなく、1964年の東京大会でオリンピック競技となった柔道が、国際化という荒波に揉まれながら日本武道館に戻ってきたという、原点と現実が同時に脳裡に浮かんだからである。無差別を含め4階級で開始された柔道は、今回男女14階級となり、さらに男女ミックスの団体戦が加えられた。30秒で「一本」の抑え込みは20秒となり、「技あり」と10秒の抑え込みで「一本」となった。また、双手刈等の下半身を攻撃することは反則となったなど、この50年余りの間にルールは大きく変化した。オリンピック参加資格ランキング制度が誕生し、選手・コーチ・審判員・IJFスタッフのプロ化が進み、私が選手・コーチだった頃の強化システムでは誰もメダルには到達できなかっただろう。 また、現在は選手に対して企業やスポ東京オリンピック・パラリンピックを終えて東京オリンピックを想う細川伸二東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会柔道スポーツマネージャー山田利彦それぞれの立場から見た東京202014まいんど vol.29
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