▲フジテレビでテレビ演出家として活躍する高野さん長田西中学3年のときに出場した全国中学校柔道大会では48㎏級で優勝。上写真は決勝――柔道を始めたきっかけは?「小6の夏にバルセロナオリンピックで古賀稔彦さんがケガを負いながらも金メダルを獲得した姿をテレビで見て感動し『これだ!』と思い、近所の体育館の柔道教室に通い始めました。すぐに柔道に夢中になり、中学入学後は、学校の部活と体育館の柔道教室と、もう一つの町道場の3カ所で練習していました。中2までは県大会にも出られないくらいの実力だったので、中3で初めて全国大会に出場したときは、とくにプレッシャーもなく自然体で臨んだ結果、あれよあれよという間に優勝することができました」――高校は県外に?「実は全中の後、試合に出るのが怖くなった時期があり、全中優勝者だと見られるプレッシャーに耐えられなくて柔道を辞めたいと思ったんです。親と話し合って『もう少し頑張ってみようか』となったんですが、やるんだったら本気でやりたいと思い、親元を離れて埼玉栄高校に行く決心をしました。高校に入ると全国レベルの先輩ばかりでまったく歯が立たず、全中優勝と言うのが恥ずかしいくらいでした。ついていくのに必死で慣れるまで1年くらいかかりました。高1の全国高校選手権に出場したときに『これでやっとついていけるのかな?』と安堵したことを憶えています。――進学先を慶応大学に決めた理由は?「高校時代に日本のトップレベルの方々と稽古する機会があって、谷亮子さんと強化合宿で組んだとき、やっぱり『自分は世界では戦えない』と、レベルの差を痛感しました。柔道で生きていくというのは自分には無理だということを、すごく冷静に受け止めて、進学先を考えたときに、その先の将来の選択肢が広がる環境に行きたいと思ったんです。そんななか、慶応大学にAO入試があると親類から聞いてダメ元で受けた感じです」――大学で柔道との向き合い方は変わりましたか?「高校時代は柔道漬けの日々だったので、大学では『力が抜けた感じで取り組めるのかな?』と思っていました。でも、1年生の稽古時に前十字靭帯を断裂して柔道ができない時期があって、できなくなると逆に『すごく柔道がやりたい』と思ったんです。再建手術後、復帰してからは意識が変わって『大学4年間も柔道一色にしよう』と真剣に取り組みました」――テレビ業界を目指したきっかけは?「柔道を始めたきっかけだった古賀選手をテレビで見たということがすごく大きくて、テレビの世界でスポーツに関われたらいいなと思いテレビ局を受けたという感じです」――スポーツ志望だったのにドラマの世界に進んだのは?「スポーツは中継やドキュメンタリーなど、結果や事実を基に発信していくものだけど、ドラマはフィクションの世界、すなわちゼロから作れる現場だということを研修期間に知り、そこに魅力を感じました。ドラマでゼロから自分がプレーヤーとして何かを作るのは楽しいんじゃないかと。まったく知らない世界に飛び込むチャンス自体なかなかないと思い、志望をドラマに書き換えたら運よく配属されたんです。そこからはAD(アシスタントディレクター)生活です。寝られないし、食べる時間もない。これまでと変わらず体力勝負ではあるんですが、今までとはまったく違う生活環境で、経験したことのない大変さがありました。それでもなんとかやって来られたのは柔道の辛さを乗り越えてきたからだと思います」――ドラマの演出家のおもしろさはどんなところですか?「やっぱり自分の頭のなかにある世界観を形にして発信して、そこにちゃんと世の中からリアクションがあるということ。この仕事は自分が作ったものの跳ね返りを直に感じることがあります。そういうときはやっていて良かったなと思うし、自分の人生経験はドラマのなかにスパイスとして入っていくから、辛いこととか嫌なこととか、人生において忘れてしまいたいようなことでも、忘れないでおこうと思います。なぜならいつかそれが形になると思っているので。良いことも悪いことも、経験を作品の一部にできるこの仕事は、他にはない素敵な魅力を持った仕事だと思っています」――柔道をやっていたことが人生に生きたことは?「メンタル面が大きいと思います。もちろん身体を鍛えていたんですけど、ものすごくメンタルが鍛えられたし、礼儀とか縦社会とか基本的なことも、今では時代遅れなのかもしれないけど、厳しく教えられた世代だったので、それはすごく良かったと思います。それと、柔道に限らずスポーツで繋がった人たちって絆が深いなって思いますね。高校時代の仲間や他の部活の子とも付き合いがいまだにありますし、仲間に恵まれたというのはありますね」――現役の選手たちへのメッセージを。「きっとみんないろんな悩みにぶつかるだろうな、と思います。その瞬間瞬間に自分がやりたいことを見極めていく、振り返るとそれがベストな選択なんだ、というか私はそう思って今も進んでいる感じですね。本当にやりたいことがあれば、何にだってなれると思います。その一歩を踏み出せるかどうかだけだと思うし、柔道の先輩方はすごく面倒見がいいのでやりたいことに繋がる誰かを紹介してくれるだろうし、道はきっと拓けると思います。柔道をやったことは絶対にプラスになりますよ」高野舞 たかの・まい1980年生まれ。静岡県静岡市出身。小学6年生のとき、長田体育館柔道教室で柔道を始める。長田西中学3年で全国中学校大会女子48㎏級優勝。埼玉栄高校2年で全国高校選手権48kg級3位。慶応義塾大学卒。2004年にフジテレビに入社し、ドラマ演出家として活躍。代表作「アライブ〜がん専門医のカルテ〜」「昼顔」ほか。PROFILEやわらたちのセカンドキャリア〜私たちの選択〜小6のときにテレビで見た、バルセロナオリンピックでの古賀稔彦さんに感動したことがきっかけとなりテレビ業界を目指した高野舞さん。いまはドラマの演出家として活躍する高野さんをご紹介します。高野舞さんが選んだ道ドラマ演出家FILE.12本当にやりたいことがあれば何にだってなれる!30まいんど vol.28
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