土屋美奈子TSUCHIYA Minako松本義和MATSUMOTO Yoshikazu1990年1月5日生(31歳)株式会社ギャラリー・ド・ポップクラス:B12008年北京パラリンピック5位(52kg級)1962年6月30日生(59歳)大阪府浪速区出身アイワ松本治療院クラス:B12000年シドニーパラリンピック銅メダル2004年アテネパラリンピック12位8/29(日)女子70kg超級男子100kg級―コロナの影響はいかがですか?「練習がまったくできない時期もありましたが、いまは、マスク着用ではありますが、乱取りもできるようになってきています。正直、不安や心配はありますが、練習できない期間も、走り込みやウエイトトレーニングを続け、筋肉が落ちてはいないと思うので、ここから乱取りとかで試合の感覚を高めていきたいと思っています」―柔道の魅力、おもしろさは?「組んでしまえば、障がいのある人ない人の境界線がないところです。知らない人でも、海外の人でも、言葉がわからなくても、組んでしまえば成立するというか、コミュニケーションがとれる。本当に素晴らしいと思います」―パラリンピックを目指したのはいつ頃からですか?「17歳です。北京大会に出たときは試合の記憶がないほど緊張していて、悪い負け方をしたので、逆に頑張らなきゃという気持ちになりました。その後、学生だったので、十分な練習ができなかったりして出られなかったのですが、あきらめずに続けてきて、今回チャンスをもらえ、本当にうれしいです」―パラリンピックはどんな存在?「パラリンピックに出て、世界観が変わりました。私の考えすぎかもしれませんが、日本では障がいを持っていると自分の主張をしてはいけないという空気があると思うんです。それが、パラリンピックに出場して、自分を表に出していい、表に出したほうが楽しいんだと思えるようになりましたし、少し自信が持てるようになりました」―今大会、どんな試合をしたい?「私は70kg超級ですが、いま77kgくらいで、この階級ではかなり小さいほうだと思います。小さくてB1(全盲)の選手がどのように戦うのかを見てほしいと思います」―目標は?「目標を気にしてしまうと身体が動かなくなってしまうので、一つひとつの試合に、いろんな覚悟を持って臨みたいと思います」(取材/6月3日)―大阪もコロナの影響をかなり受けていますが、練習はいかがですか?「練習させてもらっていた道場が閉まってしまい、4月、5月は全然練習ができませんでした。今週からようやく町道場にお願いして、少しやらせてもらっています。こんな状態で、大会開催まであと3か月ですから、完全燃焼できるのかというもどかしさはあります。でも、世界には僕より環境が悪い人もいるだろうし、いまの状況のなかでやれることをやるしかないと思っています」―柔道の代表最高齢の58歳(取材時)です。身体はきつくないですか?「メチャクチャしんどいですわ。でも、いまとても楽しいんです」―松本さんの原動力はなんですか?「私は、高校1年のときに緑内障になって目が悪くなり始めて20歳で全盲になったんです。それで、盲学校のクラブで柔道を始めて、38歳のときに、シドニーパラリンピックに出て、そのときに銅メダルを獲った。このとき選手村で、他の競技の障がい者の人たちと交流があったんですが、それがものすごく楽しかったんです。みんな障がいを乗り越えて、前向きで、自分のことは自分でする。積極的な生き方をしていて。同時に、目が見えなくなってから、いつも引け目を感じながら生きていたのに、パラリンピックに出たことで自分に自信がついたというか、取り戻すことができたんです。それで嫁さんと出会い、結婚した。もし、パラに出ていなかったら、プロポーズなんてできなかったと思うんです。 アテネは嫁さんや嫁さんの両親、友だちに自分が頑張っている姿を見せたかった。そして、子どもができてからは、子どもたちに頑張っている姿を見せたいと思ったんですが、北京、ロンドン、リオとダメで。今大会は4大会ぶりに出場できたんです」―どんな試合をしたいですか?「6月30日で59歳。普通に働いていたら、あと1年で定年。家族に、いままで私がやってきたこと、頑張ってきた姿を見せたい。それが目標です」(取材/5月28日)20まいんど vol.28
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