まいんど vol.27 | 全日本柔道連盟
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35歳の年齢で臨んだ昨年の講道館杯では見事決勝進出を果たした◀地元・西条市で行った柔道教室の様子▶昨年の講道館杯の前は、地元・愛媛の三間柔道クラブで調整を行った――宇髙選手は2014年世界選手権で優勝するなど、10年以上にわたり57級のトップ選手として活躍。去年所属したコマツを離れ、新たに設立されたブイ・テクノロジー女子柔道部の選手兼監督に就任されました。決断された理由は?「おととしの春にブイ・テクノロジーからお話をいただき、自分の将来像を考えた際に、コマツに残るか、愛媛県に戻って柔道に携わっていくか、それともブイ・テクノロジーの監督に挑戦するか、とても悩みました。新たな道を選んで残りの競技人生をまっとうできるのか。コマツの後輩たちを残して去ってよいのか。愛媛に戻った場合仕事はどうするのか……いろいろ考えているなかで、自分が柔道を続けるうえで大事にしてきたテーマは『挑戦』だったじゃないかと思い至りました。最終的には、『やっぱり挑戦してみたい』、『0からスタートして自分のチームを作ってみたい』と思うようになって、新たな道を選ぶことにしました」――不安はなかったですか?「指導者としての経験がないまま監督になることについて不安はあります。ただコマツでチームキャプテンを務めた経験はありますし、まずは選手としての立場で引っ張っていければと思っています」――監督兼選手として新たなスタートを切る矢先に、コロナウィルスの感染拡大で大会が中止になり、練習もままならなくなりました。影響があったのではないでしょうか。「スタート直後に行われるはずだった全日本選抜体重別選手権がなくなってしまい、ブイ・テクノロジーの名前を知ってもらうことができないままだったので、とくにスカウトの面では苦労しましたね。各大学の練習が中止になり、勧誘にも行けませんでした。その後、講道館杯で決勝に行けたことで、チームのことは知ってもらえたと思いますが、正直きつかったです」――去年の講道館杯では、年下の選手たちを次々と下し決勝進出。敗れはしたものの35歳で準優勝を果たしました。ご自身の練習はどうされていたのでしょうか。「実は、選手の最後は地元の愛媛県でと思っていたので、コマツに所属している最後の頃から愛媛県で練習していたんです。高校時代にお世話になっていた毛利泰三先生が指導する三間柔道クラブで、中学生や指導者の先生方の胸を借りて稽古をしていました。練習相手は10人いないくらいですし、道場が広いわけでもありませんが、集中して自分の課題と向き合いながらやれました。練習時間もこれまでよりは短いですけど、土日も練習していたから日数はむしろ多くなったかもしれません。4月からは東京に戻って、自分で練習メニューを組み立てて、出稽古先の道場やトレーニングジムも探して、という環境になりますが、この2年間愛媛でやってきて結果も出せたことで、『環境だけで決まるわけじゃない』という自信が持てました」――監督という立場になり、これから選手をどんなふうに導いていきたいと考えていますか。「『選手のことを第一に考える』ということを大事にしたいです。本当は今年度で引退するつもりだったのですが、講道館杯で決勝に進んだ結果、来年度の全日本選抜体重別選手権と講道館杯への切符を手にすることができました。試合に出られる価値やありがたさというのは、この1年痛感してきました。いまは自分が戦う姿を見せることが、一番選手に何かを伝えることができるんじゃないかと思っています。空元気でもいいから、まず自分が実践していきたいです」――どんな選手に育てたいですか?「誰からも応援される選手になってほしいですね。そのためには畳の上はもちろん、それ以外のことにも一生懸命打ち込むことが大切です。そういう姿を見れば、周囲の人も応援しようという気持ちになります。そういう選手は、結果もついてくると思います」――ファンとしては、宇髙選手の大外刈のように、代名詞になるような得意技を持つ選手が見たいという期待もあると思います。「私自身、1つの技に助けられてきたので、そういう選手を育てたいという気持ちはあります。選手ごとに持っている良さや得意技を伸ばしていきたい。その選手にあった伸ばし方はあるし、少人数だからこそ、それを提供できる部分もあると思います。実業団は所属する選手の年台もばらつきがありますし、みんなが同じメニューをやるのではなくそれぞれの課題にあったメニューが組めたらなと思っています。1月から所属選手が1名増え、4月からはさらに1名増える予定です。まずはその態勢でスタートです」――女性の指導者も徐々に増えてきています。長く選手を続けてきた経験を踏まえ、女性の指導者が増えることをどう感じていますか?「女子だからこそわかることもありますから、もっと増えてほしいと思います。もちろん女性の指導者はお子さんのことなども大変なので、全柔連が実施している「スマイルルーム」(大会時に関係者が利用できる託児室)などはぜひ広げていってほしい。同世代の女性指導者たちとは、『コロナが収まったら普及活動にも取り組みたいよね』って話をしているんですよ」宇髙菜絵 うだか・なえ1985年3月6日生まれ。愛媛県西条市出身。6歳から柔道を始める。西条北中→宇和島東高校→愛媛女子短大学→帝京大学→コマツ→2020年4月からブイ・テクノロジーで選手兼任監督に就任。06、09講道館杯優勝、10、12、14、17年全日本選抜体重別優勝、14年チェリャビンスク世界選手権優勝、17年ブダペスト世界選手権団体優勝。PROFILEやわらたちのセカンドキャリア〜私たちの選択〜今回の「やわらたちのセカンドキャリア」は特別編。長年57㎏級のトップ選手として活躍する傍ら、新たに監督としてのキャリアをスタートさせた宇髙菜絵選手を紹介します。宇髙菜絵選手が選んだ道 選手兼監督FILE.11選手、指導者として『挑戦』を続ける14まいんど vol.27

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