プロフィール
岡﨑 綾子(おかざき あやこ)1977年 島根県生まれ
島根県教育庁保健体育課 指導主事
講道館柔道女子四段
主な戦績:
1999年 アジア選手権大会 57kg級 3位
2003年〜2005年 全日本実業団体重別選手権大会 52㎏級 3連覇
2005年 講道館杯全日本女子体重別選手権大会 52kg級 優勝
皆さん、こんにちは。岡﨑綾子です。
この度はJJ Voiceに投稿させていただけることに感謝の気持ちでいっぱいです。
今回、バトンを繋いでくれた貝山さんとは、現役時代きつい全日本強化合宿を互いに励ましながら顔晴ってきました。所属は違っても、なぜか心は通じ合う不思議な存在です。いつもありがとう!
早速ですが、私の柔道人生についてお話させていただきます。私の出身は島根県益田市です。中学3年生の時、バルセロナオリンピックを観て衝撃が走りました。「柔道ってすごい!」。高校入学後、柔道部の見学に行った際、当時顧問の大畑勘市先生の「オリンピックで金メダルを獲るのは柔道だけだ」との一言で入部。「オリンピック金メダル」を目標に柔道人生がスタートしました。同級生は柔道のいろはもわからない素人メンバーでしたが、高校3年生の時、地元島根県浜田市でインターハイがあり、益田高校が初の全国3位に。情熱をもって、ひたむきに努力することの大切さを教えていただき、充実した宝物のような日々を送りました。
埼玉大学入学後、当時全日本女子強化ヘッドコーチの野瀬清喜先生の丁寧なご指導と、世界や日本でトップクラスの先輩たちの努力と人柄を目の当たりにし、「強い人とは優しい人」であるのだと教えていただきました。大学での鍛錬の成果があり、3年次から全日本の強化選手に選ばれ、全日本のトップ選手と切磋琢磨できたことは大きな経験でした。卒業後は、ミキハウス、創電社、まるや接骨院、益田市柔道教室と恵まれた環境で、3度オリンピックを目指しましたが、26歳の時、全日本強化選手を外れるなど、なかなか結果が出ませんでした。
そんな時、負けてもいつも変わらず、励ましてくださった恩師や仲間の存在が、自分と向き合う勇気を沸き立たせてくれました。「自分もやればできる」と信じて、技を磨く中、試合で負けることを恐れていた自分から、畳に上がるのがワクワクする自分に変われた時に、初めて講道館杯全日本体重別選手権大会52㎏級の優勝につなげることができました。27歳で初めての日本一でした。
その後、3度目のオリンピックの芽も絶たれた後、28歳の時にリストラに遭いましたが、とんかつ屋でバイトをしながら、「自分を変えたい!」と全日本実業団個人選手権大会を目指すと同時に、島根県教員採用試験にも挑戦しました。大会は3位でしたが、採用試験は20倍の狭き門を突破することができ、苦労ばかりかけてきた母の喜ぶ顔を見られたことが嬉しかったです。
教員として島根県に戻ってからは、体育授業や柔道部顧問として柔道指導をしています。後進を導く上で、私ができることは、「生徒の可能性を信じ、応援すること」。粘り強く、焦らず、朗らかに、また「人は変われる」と信じて、一人一人に関わることができる自分をつくることに、必死で挑戦してきました。
一方、選手時代はもちろん、指導者となってからも「競技柔道」にどっぷりはまってきましたが、柔道を選択する子どもたちが減少する現実に直面したと同時に、価値観の転換を図らなくてはと思い始めました。指導者になりたての頃は、今まで経験してきたことをベースに指導。柔道に向き合う姿勢以外は、礼の形や技の入り方などHOW TOばかりを追い求めていたように思います。自分の中で「何か違う」とモヤモヤしていた時、兵庫教育大学(当時)の有山篤利先生を講師に招き、開催された中学校教員武道研修会に参加し、衝撃を受けました。「精力善用・自他共栄」、「柔能く剛を制す」といったよく使われる柔道用語の本質的な意味に触れ、日本人がよしとしてきた考え方、行動の仕方、課題解決方法などを柔道の「わざ」を通じて学ぶことができる、運動文化としての柔道授業を教わり、感動を覚えました。グローバル社会に生きる生徒たちに、柔道を通じて日本人としての軸を持ってもらいたいとの思いで、日本の文化を学ぶ柔道授業の研鑽を重ね、少しずつ指導しています。
その指導の流れで、有山先生(追手門学院大学)、宝正隆志先生(大社中学校)、山本浩二先生(関西福祉大学)と一緒に協力しながら、「これからの武道授業を創る・攻防の『動き』を学ぶ」とのテーマで、「かけひき」の動きに着目し研究してきました。日本の運動文化としての柔道を学ぶ教材の一つになればと思っています。雑誌「体育科教育」の1月号から4月号に研究成果が掲載されますので、ご覧いただけたら幸いです。
令和3年4月より、島根県教育庁保健体育課に勤務し、主に高校生の食育推進を担当しています。指導主事として学ぶことは人を育てる上で役に立つと信じ、学校以外のネットワークも広げつつ、フットワーク軽く、島根の皆さんが生き生きと過ごせるお手伝いができるよう日々精進しています。
これまでは、柔道に関わることが当たり前の環境でしたが、学校現場を離れ、またコロナ禍も重なって柔道衣を着る機会もめっきり減りました。指導する立場にないと、女性が柔道をすることは難しいと初めてわかりました。女性の柔道に光を当てる「COMEBACK女子柔道」の取組を活用し、今後も島根県のパワフルな女性たちと連携し、様々な立場の方を巻き込みながら、積極的な仕掛けをしていきたいと考えています。
次にバトンタッチさせていただく楢﨑教子先生は、私の憧れの選手です。先生の技を真似しながら自分の柔道に活かしていました。指導者となり、楢﨑先生と一緒に和歌山県や青森県へ柔道指導で行ったことは私のよき思い出です。バトンを受け取っていただき感謝しています!