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【女子柔道振興委員会】JJ Voice No.33 矢﨑利加 さん

プロフィール

矢﨑 利加(やざき りか)1969年生まれ 長野県出身
国際武道大学 体育学部武道学科 准教授、柔道部女子助監督 
講道館柔道女子六段

主な戦績:

1991年 環太平洋柔道選手権大会 72㎏級 優勝
1990年~1992年 全日本選抜柔道体重別選手権大会 72㎏級 2位
1988年 福岡国際女子柔道選手権大会 72㎏級 2位

私と柔道の出会いは、父が茅野市柔道協会の『体育練成館』に行っており、私と兄は幼い時父について行ったことです。道場の周りを無邪気に走り回っていたことを思い出します。
そして、兄が柔道を始め、兄を見て私も柔道をやりたいと言ったことが始めるきっかけとなりました。しかし、私は中学の3年間はバレー部に所属し、本格的に柔道を始めたのは高校入学後で、団体競技より個人競技の方が向いていると思ったからです。

私が柔道をここまで続けることができたのは、父の存在が大きくあったと思います。父と母はどの試合にもいつも応援に来てくれていました。当時国際武道大学は柔道部員が多く全国大会にも多くの選手が出場しており、先生がセコンドにつけない時は観客席でなく近くで父がアドバイスをしてくれていました。柔道のことで私は、先生に怒られた記憶はあまりありません。しかし、父は先生方以上に負けると厳しく、今振り返ると勝負の厳しさを教えてくれていた、だから大学へ行ってからも勝負に対して、そして柔道への取り組みも真剣にやりきることができたのかな・・・と思います。 

また、私の高校・大学受験、期末試験など勉強を教えてくれたのも父でした。今は、亡くなってしまいましたが、父の言葉や、病院で亡くなる数日前に父と話をしたことは、私の心の中にいつまでも残っており、今私が指導する時の原点になっています。

私はあまり器用ではないので、物事を要領よくできません。しかし、そんな私を父は温かく見守ってくれていました。父は、人を認め、根気よくできるまでいつも待ってくれました。父の存在は柔道を指導している私の心の支えでもあったのだとこの原稿を書いている最中に改めて感じました。

父だけでなく、母の支えも私には今も大きな存在です。また、高校時代まで兄がいつも温かく引っ張ってくれていたこと、柔道の基本、人として大切なことを教え育てて下さった道場、高校、大学での先生方との出会いは今の私の全てです。さらに、高校・大学での仲間や先輩、後輩、柔道繋がりで得た友、また国際武道大学での先生方、教え子、私は沢山の方々に恵まれていたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

コロナ禍で柔道ができない日々を乗り越え、今国際武道大学で学生達と一緒に柔道ができること
を嬉しく思い、今の私があるのは、多くの方々と柔道のお陰で、私はかけがえのない宝を得ることができたと思います。支えてくださる方々がいるということに「感謝の心」を常に抱き大切にしていきたいです。 

大学1年生の時に出場した福岡国際女子柔道選手権大会試合後の家族との写真
国際武道大学女子柔道部の学生達

次回は国際武道大学の教え子で、矢﨑さんにとって家族の様な存在である年藤忍さんが登場します。

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