キューバ代表選手として活躍。20代で現役を引退したものの、拠点をコスタリカに移し、40歳を過ぎて再びオリンピックを目指したという、パワフルウーマン。スポーツフォートゥモロー事業の一環として、全柔連で日本に招聘したオカーニャ氏が今回のゲスト。柔道に秘めた熱い思いを伺いました。
*この記事は、上田晶子氏の翻訳を元に作成しています
<プロフィール> ケニア・ロドリゲス・オカーニャ 1973年生まれ。キューバ出身。
8歳から柔道を始め、キューバナショナルチームで代表選手として活躍。2000年現役引退。
その後、コスタリカにわたり、小学校でスポーツを教えながら、コスタリカ柔道連盟でコーチ兼選手として畳に上がっている。
柔道が不良少女を変えてくれた
オカーニャ氏はもともとキューバの出身。いまから11年前、コスタリカの国籍を取得しました。
「柔道を始めたのは、8歳の頃にさかのぼります。それまでバレーボールをやっていたのですが、子どもの頃の私はちょっとやんちゃで、ストリートファイターといいますか、ケンカばかりしていたんですよ。しかも、結構負けてばかりで(苦笑)。そんな私の様子を見かねた柔道の先生が『あなたはバレーボールはやめて柔道をやりなさい。ケンカするエネルギーを柔道に向けたら、きっとあなたは柔道で強くなるから』と私に言ったんです。ありあまるエネルギーを柔道に使いなさいってことですよね。それが柔道を始めたきっかけでした」
先生はオカーニャ氏に柔道の持っている価値、人を敬うことなど、さまざまなことを教えました。彼女は柔道に夢中になって打ち込むようになって、そこから新しい友だちができ、また、現在の職業にまでつながっていきました。
「柔道のおかげで、ストリートでケンカ三昧だった不良少女がすっかりいい生徒になった。それまでの私の生活のすべてを変えたといっていいくらい、柔道が私の人生を大きく変えてくれた。そんな柔道に私は非常に感謝しています」
心も体も惹きつけられる柔道に挑戦し続ける
その後、オカーニャ氏は仕事を探していたところ、小学校の指導者の職を得て、子どもたちにスポーツを教えるように。一方で、柔道では指導に関わるようになりました。そして2013年、転機が訪れます。
「セントラルアメリカ選手権という大会があったのですが、出場する予定で、私が教えていた選手がケガをして出られなくなってしまったんですね。それなら、私が出てみたいと思ったんです。何しろ、試合まであまり時間がありませんでしたし、教えていたら現役に復帰したくなって(苦笑)。柔道連盟の会長らに相談しましたところ、「無理だ」と言われました。それでもあきらめきれず、『私にはできます! コスタリカに必ずメダルを持ち帰りますから、私に機会を与えてください』と訴えて、78㎏超級に出場し、もちろん勝ちましたよ」
そして2016年のリオデジャネイロ五輪を目指しました。
「キューバ時代と違ったこと? 階級ですね。かつては63㎏級といまより少し小さかったですからね(笑)。また、大会では対戦相手の『誰? あのおばさん』という反応も面白かったですよ。40をすぎた私が試合の畳に上がってくるとは思わなかったのでしょうね」
しかし出場まであと少し、というところまで迫ったものの、残念ながら国勢により願いは叶いませんでした。それでもオカーニャ氏は現役生活を続けました。
「柔道の何が私を惹きつけるのか。自分でもうまく説明できません。他にサンボやレスリングなど格闘技はありますが、心も体も惹きつけられてしまうのが私にとっては柔道なんです。もし、柔道を止めることがあるとしたら、それはケニアという私の名前が墓石に刻まれたとき。来世生まれ変わってもやっぱり柔道をやりたい。柔道はそれくらい世界一素敵なスポーツだと思います」
日本のみなさんへのメッセージ
オカーニャ氏は日本に来て、NTCでの練習会に参加。自身が選手として活動していた間にこれほど規律正しく練習をしているチーム、風景を見たことがないと驚いたようです。
「素晴らしいと思いました。だから、日本の柔道家は世界一なんですね。実感しました。また、柔道をする環境が非常に整っていますね。畳一つとっても。コスタリカでは畳をはじめとした環境もそうですし、正しい柔道、正確な柔道、技を教わるということがなかなか難しいのが現状です。ここのトレーニング場はそういったものが整っていて、ここで練習している誰がチャンピオンになっても私は驚きません」