ヨーロッパ柔道連合から昨年末、女性が副会長になったというニュースが伝わってきました。それが、今回ご登場いただくジェーン・ブリッジ氏です。初代世界チャンピオンでもあるブリッジ氏に、母国の昔といまの柔道状況、そして教育担当の副会長として、どのようなことをやっていこうと考えているのか、お話を伺いました。(この記事は、杉並伸勉氏の翻訳を元に作成しています)
<プロフィール> ジェーン・ブリッジ・シャルロット
1960年2月4日生まれ。イギリス出身。スポーツとしていち早く競技として行われていたヨーロッパで活躍。1980年に開かれた第1回世界女子柔道選手権大会48kg級において初代世界チャンピオンに輝いた。昨年、ヨーロッパ柔道連合の副会長に就任。現在、フランス在住。
両親の影響から始めたエネルギッシュな柔道
女性柔道家の悲願だった第1回世界女子柔道選手権大会が、いまから37年前の1980年、ニューヨーク・マジソンスクエアガーデンで開催されました。この大会の48㎏級で初代世界女王に輝いたのが、ジェーン・ブリッジ氏でした。
「私が柔道を始めたのは、今から46年前。両親が柔道好きで、母は結婚前に少しだけですが柔道をやっていたそうです。そんなことから、私も始めることになりました」
当時、柔道という競技はまだイギリスでは一般的ではなく、学校では男子と女子のスポーツは線引きされていました。しかしそのなかで柔道は、女子の競技としてイギリスで成功したスポーツだといえます。
「私以外にも、ヨーロッパや世界選手権でメダルを獲得した女性たちがいたからです。このエネルギッシュなコンタクトスポーツは、イギリス女性たちの気質に合っていたということなのでしょうね(笑)」
女性初の世界チャンピオンとして成し遂げること
しかしながら、この20年でイギリス女子柔道界の状況は変わり、世界の上位に名を連ねられなくなりました。この要因とは。
「例えば、フランス。イギリスから距離的にも近いこの国は、昔もいまも世界で輝かしい成績を収めています。それは日本から指導者を招くなど、さまざまな取り組みをし、成長するための努力を続けてきたからだと思います。反対にイギリスは、日本柔道との関係が私から見れば疎遠になった。このことが大きく関係しているのではないかと思っています。日本柔道から私たちは勝つ方法だけではなく、その過程で努力し、自身を高めるということを学んできました。それがいつしか、日本柔道と疎遠になったことで、勝利至上主義に傾いてしまったのではないかという気がしています」
昨年12月、ブリッジ氏はヨーロッパ柔道道連合(EJU)の副会長(教育担当)に就任しました。「女性初の世界チャンピオンになった者として、この職務に責任を持って関わっていきたい」と語っています。
柔道教育ため、国を超えたネットワークづくりを
現在、EJUでは柔道の教育に力を入れ、『教え方の改革』をテーマに取り組んでいます。柔道を子どもたちの成長に役立て、なおかつ、成長期の一過性のものではなく、長く親しんでもらえる『生涯柔道』に発展させることを目標にしたもので、ヨーロッパ加盟国のクラブチームを対象とした、たいへん大きなプロジェクトです。
「具体的にお話すると、よりよい指導をしていくために、指導者のスペシャリストを呼び、いろんな国でセミナーを開催したいと考えています。日本人ではスイスで長く指導しておられる、天理大出身の片西裕司氏にご協力いただく予定です。これらのセミナーなどをもとにすばらしい指導メソッドをつくりあげ、ヨーロッパ各国に提供できるようになれば、ヨーロッパで柔道がもっとポピュラーなスポーツになっていくのではないかと考えています」
また、ブリッジ氏は女性初となる教育担当の副会長として、いくつかのアイディアも温めているところだという。
「例えば女性のコーチが育っていくための環境の整備、セミナーのような、ネットワークづくりに役立つようなこともやっていきたいと思っています。すでにスウェーデンの女性コーチとは話し合いを始めていますが、こうしたことをさまざまな国でできたら、女性の柔道の成長につながっていくにちがいないと思っています。もちろん、日本ともやっていきたい。同時期に戦ってきた(山口)香さんをはじめとした女性たちと力を合わせ、やっていきたいですね」
最後にブリッジ氏は「日本の女性柔道家のみなさんへ」と次のようなメッセージを送ってくれました。
「たとえ柔道でチャンピオンになれなくても、そこにたどり着くまでのさまざまな努力であなたは心も体も成長しています。だから、何も心配することはありません。チャンピオンになれなかったとしても、あなたが選んだ道はまちがっていないのです。頑張りましょう!」