――いまのカナダの柔道人口は?
ケベックで12,000人、カナダ全土で20,000人くらいですかね、登録されているのが。私が来た当時(52年前)と比べてもそんなには変わっていないです。大きな違いは、私が来た頃はフェデレーション(連盟)が4つあってですね。私は、カナディアン講道館ブラックベルトアソシエーション(カナダ講道館柔道有段者会)というところに身を寄せたわけですが、来て早々に、そちこちの道場に「道場破り」に行ってくれというわけですよ。言われた道場に行くと何十人も待っていて「試合しろ」と。それで20人~30人並べておいて端から端までぶん投げていったんですね。最初の1年か1年半くらいは毎週末、他のアソシエーションの道場に行ってそういうことをやっていました。まだ私も26歳くらいで若かったですからね。それで、そのうちにみんな講道館のほうに人が入ってくるようになりまして、組織が一つになったのが1975年くらいでした。
――いままで指導されていて、嬉しかったことは。
やはり1992年のバルセロナオリンピックで、ニコラス・ギルが銅メダルをとったときですね。自分の目標としていた、教え子がオリンピックでメダルをとるというのが実現したとき、あれは嬉しかったですね。
――ギルさんは、13~14歳のくらいから中村先生が指導されていたそうですが、他の選手とは何か違いましたか?
いや、柔道が好きで、燃えているのは目を見てわかりましたけど、あそこまで強くなるとは、正直思わなかったですね。
――柔道を好きな気持ちというのは、やはり大切なんですね。
私は、選手の目を見て、本当に柔道が好きな14~15歳の子どもを探すんですね。柔道の話を、目を輝かせてする子。朝から晩まで柔道、飯を食っても柔道、寝ても柔道というくらい柔道が好きな子。まずはそれが第一条件です。次が親。親がどのくらい経済的に子どもの援助をできるか。こちらは月謝免除とか寮費0円とか、日本みたいな特待制度はないので、結局親がサポートできないとダメですからね。3番目は、最初の先生がどこまで基本を教えてくれたか。ひどい道場は受身をするなと言われているわけですよ。受身をとったら負けちゃうから。そういう子を直すのは大変で、直すまでに嫌気がさしてやめちゃうんです。そして4番目は、どこまでいける選手なのかと。ナショナルチャンピオンか、パンナムのチャンピオンか、オリンピックに出る選手になるかというところを見定めないといけない。あとはタレント(才能)ですね。オリンピックでメダルをとるような選手は、90%までは努力と4つの要素でいくんですけど、それ以上はタレントと残り2~3%はラッキーというか、神の計らいみたいなものでゴールドかシルバーかが決まると思うんです。そのへんも見極めてやらないといけないですね。