プロフィール
柳澤 久(やなぎさわ ひさし)1947年長野県生まれ
電気通信大学名誉教授
公益財団法人講道館評議員
三井住友海上火災保険株式会社女子柔道部 師範
講道館柔道八段
指導歴:
1980~89年 世界女子柔道選手権大会 コーチ・監督
1988年 ソウルオリンピック 監督
1992年 バルセロナオリンピック コーチ
1989~2020年 三井住友海上火災株式会社女子柔道部 監督
2020年はコロナ禍で国内外の柔道大会が次々と延期・中止が発表されていったが、講道館杯兼全日本体重別選手権大会(10月31日・11月1日・千葉ポートアリーナ)、第35回皇后盃全日本女子柔道選手権大会(12月27日・講道館)が開催された。無観客試合であったが両大会を見ることができ、大会開催にあたり関係者の努力に心より感謝したい。女子柔道の試合は1978年に第一回全日本女子柔道選手権大会(4階級)の名称で開催された。1986年に無差別の大会に名称を譲り、体重別選手権大会と2つに分かれた。両大会の開始から女子選手の試合を見てきているが、日本女子選手は本当に強くなったと感じた。男子選手に引けを取らない技の応酬が展開され迫力ある緊迫した試合の連続であった。
私の女子柔道と出会いは、1977年4月から講道館国際部・女子部指導員となった時からである。指導は週一回1時間の「乱取を中心とした技術の指導」であった。
当時は「女子柔道も世界選手権が開かれるらしい」、「日本でも試合を開催するらしい」と話題にはなっていた。世界選手権大会が1980年に開催と決定してから、1978年に日本での女子柔道の大会開催、79年に全日本女子柔道強化合宿開始となったのである。
最近、女子柔道の強化、国際大会に関する大量の資料を整理した。特に自分が担当した1978~89年の全日本強化合宿、国際大会派遣の資料は全部残してあった。今回はその中で一番古いファイルから1979年:昭和54年度第3回全日本女子強化選手強化合宿要項を紹介したい。
1.目的 太平洋柔道選手権大会(昭和55年2月17日~18日、ハワイ)をめざし、全日本女子選手の強化を図る。また、合宿期間中に太平洋選手権大会の日本代表女子選手を選考するための選考試合を行う」。この太平洋柔道選手権大会が日本女子柔道選手の初の海外国際大会であり、この選考試合が今日の講道館杯全日本柔道体重別選手権大会に繋がっていくのである。
2.期間 昭和54年11月9日(金)より13日(火)までの5日間
3.場所 講道館(宿泊・練習)
4.参加者 (1)女子強化担当コーチ3名 ①大澤慶己(早稲田大教)②二星温子(講道館)③柳澤 久(電気通信大教) (2)特別コーチ 若干名(老松、安部等) (3)女子指定選手23名(第1、2回全日本女子選手権3位までの者)
5、選考試合:11月10日(土)午前9時30分~12時 於・講道館小道場(1F道路側)実際の参加者は21名で6階級にばらつきがあるが、階級ごとにリーグ戦(2~6名)を行っている。結局、50㎏級山口、60㎏級星野、66㎏級福田、72㎏級川村の4階級の優勝者を代表に選考している。
また、合宿日程表を見ると、9日(金)午後:選手集合:国際試合審判規定(醍醐)、強化委員長である醍醐敏郎氏が翌日の女子選手初の国際ルールによる試合のために講習。 11日(日)午前・午後:投技・固技の解説と練習(老松)、故老松信一九段は固技では相手の足を制して抑え込みに入る技を解説。
12日(月)午前・午後:投技の解説と練習(大沢)、大沢慶己氏は投技で最も得意技である出足払・送足払を解説。しかし、出来る選手はいなかったと記憶している。
13日(火)午前:連絡変化技(安部)、安部一郎氏は大内刈で後方に崩し相手が押し返してくるところを体落に入る等を解説。醍醐・大沢・安部と現在の十段の先生方が50歳代の時に直接指導していたのである。
午前は大道場を使用したが、午後は技の解説を1F小道場で実施し、乱取は大道場正面左側を赤紐で場所を確保して、乱取練習特別コーチ(5~6名)相手に4分×8~10本の乱取を実施していた。
朝トレーニング1時間、午前練習2時間15分、午後3時間15分と練習時間を確保したが、半分以上の時間を技術解が占めていた。指導陣は女子強化に関してあまり経験がなく手探りの状況であった。合宿記録に「全般的にスタミナがなく、休まず連続して乱取をする者少数であった。練習方法を検討する必要があると思われる」との記載がある。選手間に体力・技術に差があり全体での一斉指導は非常に難しかったと記憶している。
しかし、当時の女子柔道選手達は本当に厳しい練習環境(道場、指導者、練習相手等)であったがよく頑張っていたと思われる。その後、世界選手権大会開催に続いて、オリンピック競技大会正式種目にも採用されて、世間の理解も得て今では小学生から社会人までの多種の試合が開催されている。女子柔道競技でまだ未実施なのは、全国高段者大会の開催くらいである。
私は女子強化を最初に担当した者として、競技力向上には何が必要かと練習・トレーニング方法、選手の体力・技術分析、選手の障害特性、女子柔道の競技特性などいろいろ研究分析し試行錯誤しているうちに40年以上が過ぎてしまったが、まだ明確な答えを出すには至っていない。また、若年期に英才教育をして世界では勝てる選手を育てようと自宅に柔道場(28畳)を建てたがチャンピオンはまだ育っていない。
柔道競技は対人競技であり格闘技であり武道である。勝負の判定基準は多種に別れ非常に難しい。そして、誰もが簡単には強くなれない競技であるから面白いのである。
今は選手達の練習環境も整い、世界に出ればどの階級でも優勝できる強さを持った選手が揃ってきている。2021年7月24日からの東京オリンピック柔道競技で日本女子選手が日本武道館で大活躍する姿を見てみたい。
女子柔道振興委員会のリレーコラムが突然に私のところに回ってきて困惑していたが、
執筆者達の現役時代の柔道衣姿・試合姿を思い浮かべることができたし、競技引退後もそれぞれの分野で活躍しているのを知り、うれしさと安堵感が湧いてきていた。
最近まで選手には「柔道競技をやると決めたら、世界一を目指し努力をしろ。しかし、柔道の成績だけで世の中を渡ってはいけない。次の舞台でも頑張ることにより女子柔道は評価されるのである」と言っていた。選手には「頑張れ、頑張れ」と言い続けてきたが、勝利の歓喜は一瞬であり、その後の人生が長いことに一抹の不安を持っていたのである。
リレーコラムを読んで、私は柔道競技を経験した女子選手は次の舞台でも必ず輝いてくれると確信できた。今後も皆さんの次の舞台での活躍を楽しみにしたい。
次回は、第1回世界女子柔道選手権大会日本代表の竪石(旧姓:福田)洋美さんが登場します。