――アイスランドで指導したことでどんな変化がありましたか。
アイスランドの社会は非常に平等なんですね。男女も年齢的にも平等で、人種や経歴での差別もありません。子どもが先生のことをファーストネームで呼ぶというのも常識という社会です。ですから、柔道について言うと、どちらかというと教える側が主体ではなく、教えられるほうが主体なんですね。教える側はあくまでもサポートをする側なのです。よく考えると正しいことなのですが、当初は日本と考え方が大きく違うので戸惑いました。
――その違いには、すぐに対応できたのでしょうか。
いえいえ。言うことを聞かない子に「道場の外に立ってなさい」と言って道場から出して、ちょっとして見たらいないのでどうしたのかと思ったら、靴を履いて帰ろうとしている(笑)。それであわてて連れ戻したということがありました。こちらの子は言葉をそのまま受け取ってしまうので、これは気をつけなければいけないと思いました。
私としては日本の柔道のやり方が一番で、日本のやり方で指導すれば確実に結果が出るんだと思っていましたから、始めのうちはどうしたものかと思いました。そのうちに、柔道を学ぶということもアイスランド社会の中の一部なのであって、道場にやって来る人はその社会で生きているわけですから、社会のほうを見なければダメだなということがわかってきました。最初にアイスランドに来て1年半が過ぎた頃でした。
――指導法はどのように変わりましたか。
意欲のある子、自分でやりたいという子は質問をしに来るんですね。「これどうしたらいいんだ」「どうやったらできるんだ」というふうに。こちらからいくら与えても、受け取る側が何パーセント受け取っているのかわかりませんが、質問をしてくるということは、受け取る側のパーセンテージは高いんだなということがわかってきました。
それと、相手の反応を見るということですね。こちらが何か言っても相手がボーッとしているのは、私の教え方が合っていないということで、逆に反応があるとこのやり方が合っているんだな、と。声をかけることも大切にしています。いまも1回の指導のなかで必ず、ひとり1回は必ず声をかけるようにはしています。
――形の指導も各国でされています。乱取りの指導と違うところはどんなところですか。
乱取りのほうが幅広くてひとつの技についても相手の反応がどうということがありますけど、形のほうは動きが決まっています。その中で指導方法としては、主となる部分(体捌き、崩し、技の極めなど)に重点を置いて、先に指導し、移動や間合い等の説明は後回しにしています。形の稽古が技の攻防を理解する稽古であると認識するならば、主となる部分を通常の稽古のように、「打ち込み」形式で反復練習を重ねることが大切だと思っています。