――フランスの社会において、柔道が担うものは大きい?
ものすごく大きいですよ。私は日本人なので、そういう面ではみんなに見られていると思っています。
以前、粟津正蔵先生と講習会でお会いしたときに、終わったあとに、バーに誘っていただいたんですね。うちの旦那や、先生の弟子の方たちも一緒に行ったんですけど、そのときに、一曲歌わせてくれと言われて、島崎藤村の「椰子の実」という曲を歌われたんですね。60数年前にフランスに来て、先生がどんな思いでいたのか、その歌を聞いた瞬間にすべてわかって。先生がなぜその歌を歌ったかというと、「お前も頑張れ」というメッセージだったのかなと。それを聞いたときに、背筋がピンと伸びて、先生が柔道家として築いてきたものを崩したらダメだし、先生と同じようにやっていかなくてはいけないと感じました。
――いま、道場では何人くらいの子どもを、どんなスケジュールで教えているんですか?
2年前に、250人くらいの道場をやめて自分の道場を立ち上げて、いまは50人。場所を移して、新しく立ち上げて2年目で50人というのは、悪くはないかなと思っています。
いまは、火、水、金、土が道場での指導。そして水曜日は、ここから1時間半くらいのところにあるクラブで2時間、そして、ここから30分くらい行った町で、ハンディキャップを持った人たちの柔道と体操をやっています。それが毎週の仕事で、あとは月に1回、ここから1時間くらい行ったブレストという町で子どもと大人のクラスを教えています。
教えているのは、下は4歳からで、上はいくつでもいいんですが、昨日88歳になられた方もいます。彼は去年、テストを受けて黒帯をとりました。立ち技の乱取りはしないですけど、寝技の乱取りもしますし打ち込みもします。本当に凄いですよ。