――次はミャンマーのナショナルチームの監督を務められました。
44年ぶりにミャンマーで東南アジア競技大会『SEA GAMES』が開催されることになったタイミングでの赴任でした。この競技大会は、東南アジアではオリンピック以上に盛り上がるイベントで、「少しでも多くメダルを獲ってくれ」と強く要望されました。歴代赴任された先生たちのおかげで日本の柔道の練習法が根付いていましたし、何より日本人指導者に対する信頼が厚いことに助けられました。そもそも競技人口が多くなく、乱取りでの強化は難しい。大会まで1年間と残り時間が決まっていること、年齢的にピークを迎えて技術的な土台がある選手が多いことを考えて、フィジカルの徹底的な強化という方針を立て、結果として4つの金メダルを獲ることができました。他の選手たちも、銀メダルや銅メダルを獲得しました。30年前、日本から柔道指導者として初めて赴任された藤田真郎先生の時に3つの金メダルを獲って以来の好結果です。大会には藤田先生も来られて物凄く喜んでくださり、本当に嬉しかったです。
――成果を残して、翌年から3年半中国、河南省の監督として赴任されました。
中国では4年に1回、日本で言う国体のような自治体対抗の全国大会があるんですが、そこにかける熱量が凄まじい。このための強化に呼ばれた形です。
――思い出深いエピソードは?
人間関係と「お酒」ですね。日本からコーチが行くこと自体が初めてで、「自分の仕事を取られるのではないか」と疑心暗鬼になる指導者もいたので、あくまで「みんなで一緒に強くなるのが私の仕事だよ」というスタンスで諭して、行動して、指導を続けました。お酒に関しては、中国では白酒(パイチュウ)という強いお酒を飲めないと人間関係が作れない。お酒を遠慮すると「お前は家族じゃないのか?」と詰め寄られてしまいます。中国赴任後は白酒の匂いを嗅ぐだけでジンマシンが出るようになり、お酒はまったく飲まなくなりましたね。次のカザフスタンがイスラム教国でお酒を飲まないので、ちょうど良かったです(笑)。
――指導にあたって、これまでの国と違ったことは?
国自体に根性論的なところがあって、厳しいメニューを与えてもすんなり受け入れる土壌があります。また中国は人口が多くて、河南省だけでも1億人以上。人の数が多いので選手の見切りが早いんです。省チームに入ると給料も出て練習環境も良く、食事も住むところも提供されますが、ダメと判断されれば、育成段階の子でもすぐに替えられてしまう。これは他の国にはない特徴だと思います。