プロフィール
堺 千陽(さかい ちはる)1976年 石川県生まれ
はり灸 マッサージ Hako経営
講道館柔道女子四段
主な戦績:
1997年 太平洋柔道選手権大会(マカオ) 56㎏級 準優勝
2001~2003年 全日本実業柔道個人選手権大会 52㎏級 3位
2001年 全国女子柔道体重別選手権大会 52㎏級 3位
2002年 チェコ国際柔道大会 52㎏級 3位
主な活動:
1999年~2003年 拓殖大学第一高等学校 柔道部コーチ
2008~2012年 桜丘高等学校 柔道部コーチ
2018~2020年 愛知県武道館柔道教室講師
この度、審判員の大先輩である稲川郁子さんよりバトンを受け取りました、堺千陽です。どうぞよろしくお願い致します。稲川さんは、審判員としての所作などの細やかなアドバイスをして下さる大変頼りになる方で、同じ試合場になると安心感さえも感じられる頼れる姉さんです。
このバトンの話を受けたものの、あまりたいした話はできませんが、とりあえず皆さん自己紹介されてるので、私の生い立ちからいきたいと思います。
柔道を始めたきっかけは兄の影響…なのですが、正直言いますと、BBQに参加したくて始めました。この頃から食い意地が張っていたようです。若干6歳です。両親も厳しい人だったので、あえて、金沢の中でも厳しいところで!ということで岩井柔道塾の門をたたきました。未だにこの道場より厳しいところを見たことがないくらい、とても厳しい道場でした。中学生の頃には、毎日夜の10時まで練習をした後、帰宅後自主練したり、時には夜中に父に起こされ、海の砂浜に連れていかれ「1立方体の穴を掘れ」なんていうわけのわからないトレーニングをさせられたこともありました。ですが、この頃の自分が原点であり1番メンタルが強かったと自負します。恩師の岩井克良先生に感謝です。
昔から一人暮らしに憧れもあったこともあり、高校は親元を離れ福岡県の柳川高校へ進学しました。同級生にオリンピック金メダリストの阿武(現:園田)教子が居たので、強い人を目の当たりにできたお陰で、常に向上心を強く持てました。部員のほとんどが全日本の強化選手だったので切磋琢磨し合える良い環境でした。大学は拓殖大学に進学しました。昔から体育の先生になりたいと憧れを持っていたにも関わらず、なぜか商業科の教員免許を取得し、教員になりませんでした。大学生活も全国から強い選手が集まって、いわゆる強豪校であったにも関わらず、『笑っていいとも!』などのテレビ出演を許可してくれる緩さもあって楽しく過ごすことができました。
大学を卒業してすぐ、拓殖大学の付属高校である拓大一高のコーチの話をいただきました。柔道を辞めるタイミングはいくらでもあったのに続けている自分を見て、柔道が好きなんだとこの頃ようやく気づきました。教えることで気づくことがたくさんあり、さらに柔道が楽しくなり現役も続けることにしました。27歳で辞めた時、当時愛知県警柔道部監督であった先生が常に気遣ってくださり、「お前は柔道に携わっていた方がいい」と言ってくださったお陰もあり、一旦地元に戻り柔道から離れたものの、愛知県の桜丘高校で再び柔道を教えることになりました。それと同時に審判員のライセンスも取得し、今は審判員をすることで柔道に携わっています。
怪我が多くて悩むことも多かった現役時代ですが、今の仕事に活用できているので、それも良い経験だったのかと今は思えます。柔道を始めたきっかけがなんであれ、ここまで私にとってかけがえのないものになったことは私にとって誇りであります。そして、今後の女子柔道の発展に貢献できたらと思います。
次回は、堺さんが現役時代から国体等でお世話になった鈴木香さんが登場します。